第五章【安国と政治】(1)政治権力と創価学会
政治権力が戦後、創価学会に対して攻撃をしてくるようになったのは、学会が政治に進出するようになってからです。このことは学会の歴史を調べると明確に分かります。
昭和31年の参議院選挙は学会として、初めて国政選挙に議員を立候補させたものでした。
結果は、多くのマスコミの落選予想に反して、3人の参議院議員が誕生しました。特に、大阪選挙区での当選については、「まさかが実現」という見出しが翌日の新聞に大きく出ました。
攻撃という表現は戦闘的で違和感があるかもしれないが、批判などという優しい言葉では合わないような常軌を超えたものでした。
攻撃の方法は、複雑で巧妙なものでした。一見すると政治と全く関係のないようなところからの攻撃のように見えるが、実は裏で政治権力が働いていたものも多くあります。
もし学会が、政治にいっさい関わらなかったとしたら当然、政治権力からの攻撃はなかったでしょう。
昭和31年までの学会に対する攻撃と、それ以降では明らかに次元を異にしているのを見てもそれが分かります。
昭和31年以降の学会に対する攻撃は、事実を挙げれば分かることですが、人間としての常識を逸したような異常なものでした。
攻撃の状況は千差万別であり、時には政治とは無関係を装ったものもあったが、すべての根っこは、公明党という新しい政党が発展することによって不利益になる人々が、自分たちの既得権を守ろうとしたところにありました。
表面的には、なんだかんだと攻撃の正当性をアピールしていましたが、根本は学会が発展することによって損失が出てくることになる人たちの利益を守るための言い訳でした。
宗教が正しいか正しくないかではなくて、損得の判断で攻撃してきたわけです。
ここには大きなポイントがあります。学会を攻撃してきた本当の理由は、学会自体が良いか悪いかではなくて、攻撃した側が損になるかどうか、であったわけです。
世の中に対しては攻撃理由を、社会正義だとか、オカルト宗教だとか、カリスマ教祖の危険な教団を解散させるなどと宣伝はしていましたが実は、自分たちの利益を守ることが最大の理由だったのです。
これが創価学会攻撃の実態です。
攻撃する側は、この事がバレないようにするために、あらゆる悪知恵を出して粉飾しました。
大方のマスコミはこれにだまされました。
当然、学会のことをよく理解していない大衆が、マスコミの話を鵜呑みにしたことは言うまでもありません。
20年以上前になりますが、このことを象徴するような出来事が起きました。
それは学会を壊滅させるために、各界の反学会の主だったメンバーが大同団結して集まり、
「信教と精神性の尊厳と自由を確立する各界懇話会」という集団を発足させたことです。
あまり表には出なかったのですが、この会を立ち上げた張本人は自民党の国会議員でした。
当時は自民党が野党で、公明党は与党でした。
懇話会には非常に多くの個人や団体が集まりました。その面々を見ると、一流の評論家や有名大学の教授、人気のある著述家、さらに元大臣まで名前を連ねていました。
また団体としては、神社や仏教関係、当然ながら新興宗教関係など、多くの団体が集まっていました。
一見すると、日本の知性を代表するようなものであり、この懇話会での判断は、良識的な社会全体の判断と思わせるものでした。
ところが実態は、学会が発展することによって被害を受ける団体であったり、池田会長に対して憎悪と嫉妬心を抱いている個人の集まりだったのです。
この会の発足までは、日ごろから反学会の言動を繰り返してはいたが、個別的なものであり大同団結することはありませんでした。
ところがそこに、国会議員という国を代表する政治権力が反学会の旗を振ったわけですから、好機到来と飛び付いたことは想像に難くありません。
国会議員にすれば、学会を壊滅させて公明党を消滅させれば、その分の議席を増やすことができるわけだから、両者ともに利害が見事に一致したといえます。
その後、直ぐに自社さ連立政権が発足し、公明党は野党となりました。与党の権力を背景に、懇話会の創価学会への攻撃は激しさを増しました。
懇話会は、あらゆる策と方法を使って学会に対して、池田会長に対してネガティブキャンペーンを展開しました。
具体的には、政教一致の憲法違反、池田会長のレイプ事件、創価学会が某市会議員を転落死させた等々。そして中傷批判の大量のビラ配布など、挙げれば切がありません。
さらに国会では予算委員会で、学会批判を掲載した週刊誌などを使って攻撃をしてきました。そして、自民党から池田会長の証人喚問要求が出ました。
結果的には、当時の秋谷会長が参考人招致に応じました。
これらを通じて懇話会が世の中に与えた最大の影響は、
「これだけ社会的にも有名で、知性的な人々の集まりである懇話会が創価学会、池田会長に対して攻撃を加えているのだから、間違いなく反社会的な宗教団体であり会長であるに違いない」
と感じさせたことでした。
「池田会長を中心にした創価学会という教団は、一般社会とは隔絶した異様な独善的な集団であり、社会常識や社会正義などといったものは通じない、狂気じみた人間の集まりである。だから、入会するなどということはとんでもないことだ。知り合いに学会員がいたら、だまされているのだから目を覚ませ、と言って救ってやらなければならない」
こんな思いを多くの国民に与えました。これこそ懇話会の狙いでした。
懇話会の反学会キャンペーンは、スケールの大きなものであり、徐々に成果を上げるようになっていきました。
ところが、ある出来事を契機に、急速に活動が減速し、ついには懇話会が解散することにさえなったのです。
その出来事というのは、自自公連立政権の発足でした。これによって懇話会の存在意義がなくなったのです。だから解散したのは当然ともいえます。
しかし、あれほど、学会が社会正義に反し、存在自体が社会悪である、と主張していたにもかかわらず、権力構造が変わることによって突然、学会の存在が重宝がられることになるということは、あきれるしかありません。
その間、学会は何も変わっていないのですから。
ここに、政治権力による創価学会批判の原理が明確に表れています。
それは、学会の存在が、自分の政治権力にとってマイナスになる時には、学会は悪となり、逆にプラスになる時には、善となるということです。
学会に対する善悪の判断は、客観的で普遍的なものからの判断ではなく、政治権力の構造による判断なのです。
また、反学会側は大義名分として必ず、
「信教と精神性の尊厳と自由を確立する各界懇話会」というような正義の味方に扮(ふん)するものです。
いかにも、世の中から悪と不正を退治する闘いだというイメージを作り上げます。そうして、一般大衆を見方にして、社会悪撲滅運動として行動するのです。
実際の政治においては、権力というものが、道理、真理よりも優位に働くことは、歴史が証明しているところです。
ヒトラーの例を出すまでもなく、正義と悪の判断は権力者が決めることであって、普遍的な真理に基づくものではないのです。
このような権力者によって、どれほど多くの人々が命を奪われ、苦しめられたことか、人類の教訓としなければならないでしょう。
よく言われることですが、戦争の時代に敵兵を殺せば英雄となるが、平和の時代に人を殺せば殺人犯になります。
これは昔話ではありません。今も、世界の各国では、できるだけ短い時間に、できるだけ多くの人間を殺すための兵器を開発し準備しています。そしてその兵器で大量の人間を殺害したならば、攻撃した側にとっては正義となるのです。
この人間の「負の連鎖」を断ち切ろうとして活動しているのが創価学会です。
それが分からずに、自らは世界の平和のために何の役にも立たないにもかかわらず、ホントらしいウソで創価学会を攻撃しているのが学会批判者の実態なのです。
スケールは違いますが、反学会のキャンペーンを行った懇話会は、構造的にはこれと全く同じ愚行でした。
ちょうど、戦時中に軍部がより多くの戦果をあげるために、さまざまな文化団体や文化人を戦争賛嘆者にして利用したのと同じです。
戦後、これらの団体や人々は、厳しい批判と反省を余儀なくされたことは周知のところです。
懇話会に名を連ねた人々も、本来であれば解散後、
「創価学会撲滅の思惑が、政治権力にすがることによって達成できると思ったが結局、政争の具として振り回されただけだった」
と反省の弁を公表すべきでした。
ところがほとんどのメンバーが、懇話会については何も言わずに、姑息に黙っています。
世間からは、社会正義や人間の道理を信念として活動しているように見られている人が、それに反した政治的権力に尻尾を振って、一宗教団体を迫害しようとしたことは一般常識として許されることではありません。
それなのに、厚顔無恥にも平気な顔をして相も変わらずマスコミに顔を出し、大学で講義をし、どうでもいいような文章を書いて得意になっています。
懇話会のメンバーの中には、特異な人物もいました。
それは、与野党などの権力構造がどのように変化しようが、徹底して創価学会・公明党を破壊しようとする人たちでした。この人たちは、公明党が与党になり自民党からの攻撃が無くなった後も、折り有るごとに陰湿な攻撃を様々な形で行い続けました。
そして、公明党を与党の中から追いだそうとし、創価学会を世の中から締め出そうとしたのです。
別の観点からみれば、「信教と精神性の尊厳と自由を確立する各界懇話会」はこういう反学会の人物によって利用された集団だったともいえます。
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