第二章【批判の根拠】(10)ゴーストライター

「池田会長の著作物は、ほとんどはゴーストライターが書いたものだ。そうでなければ、あれだけの分量と深い学問的な内容のものが書けるわけがない」

この類の批判は常にあります。
結論から先に言えば、このような批判をする人は、著述業や出版社、また様々な組織のトップクラスの人間とは、全く縁のない仕事や生活をしている人です。
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例えば、流行作家の担当編集者や、大臣を支えるような部署で仕事をしておれば、こんな批判など出てきません。
現実、現場を知らない人が空想して、的外れな批判をしているのです。そして、その批判に、何も知らない人がだまされるわけです。
事情を知っている人から見れば、こんな批判は、バカバカしくて無視するだけです。

推理小説や中間小説が大きなブームになった時代には、売れっ子の作家となった人は、連載を3から5箇所も持っている人がいました。
原稿が書き上がると、作家自身が雇っているスタッフや出版社の担当者が、細かいところまでしっかりとチェックをします。
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時には、登場人物や地名を別の連載のものと間違えたり、時系列を間違えた数字を書くこともあります。これは、割りに多いことです。
すべて、スタッフや担当者が訂正をします。さらに、言葉遣いの誤りや文体の整合性なども、読者が違和感を感じないように書き直しました。

こういうことを専門にするスタッフや編集校正係りは必ず、流行作家には付きました。いずれも、有名な作家に恥をかかせるようなことは絶対にしないためです。
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人気作家はさらに忙しくなると、口述筆記をすることもありました。担当者に言葉で伝えるわけですが、当然ながら言い間違いはよくあります。何度も言葉で訂正したり、時にはすでに口述してしまった内容の変更を指示したりすることもありました。
さらには、あらすじ程度の内容を言って、作家希望者の弟子などに、肉付けを頼んだりもしました。

こうして出来上がった作品の作者は、言うまでもなくその作家です。誰もゴーストライターが書いたなどとは言いません。
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近年では、世間的に有名な人、芸能人、大企業の社長、スポーツ選手、政治家などが自著の書籍を出版することが多くあります。それが、ベストセラーになることもしばしばあります。

こういう書籍では、実際に文章を書く人は専門のライターの場合がほとんどです。現実問題として、文章を書き慣れていない人が、一冊分の文章を書くというのは無理があります。それより、ライターと言葉でやり取りしながら書いてもらう方がはるかに出版は迅速にできます。
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こうして出来上がった作品の作者も、言うまでもなくその著名人です。誰もゴーストライターが書いたなどとは言いません。もちろん、「あとがき」などで協力者としてライターの名前を出す場合はあります。

極端な例ですが、新大臣に任命になった人が、
「しっかり、お役所の原稿を読ませていただく。立ち往生より、ちゃんと答弁書を朗読かな」
と発言をして問題になったことがありました。

国会で予定されていた質問に大臣が答弁する内容は、係りの官僚が事前に原稿を書いて渡します。また、委員会などでの急な関連質問についても、さまざまな資料を官僚が用意していて答弁できるようにアドバイスします。
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大臣の答弁は官僚が作成したものです。もちろん、大臣が自分の考えで、原稿を修正したり、違った内容の答弁をすることは当然あります。しかし大抵は、原稿に沿った答弁をします。

そうであっても、大臣が答弁したものは当然ながら、大臣の発言であることに間違いはありません。
たとえ官僚の書いた原稿を読んだとしても、書かれた内容の責任を取るのは大臣です。あとで追及された時、「あれは官僚の書いたもので私の見解ではない」などと言える性質のものではありません。
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総理大臣も同じです。激務の中、多くの会合などにも出席してその都度、挨拶もしています。これらの原稿をすべて自筆するというのは非現実的です。
もしそんなことをしなければならないとしたら、総理は原稿書きに多くの時間を費やし、国政は停滞してしまうでしょう。

そうならないために内閣官房という組織があり、総理をあらゆる面から支援をしています。

また、歴代の総理によってさまざまですが、自分の考え方を十分に理解したライター係りを持っていることもあります。
総理はスピーチが必要になると、ライター係りに自分の言いたいこと、ポイント、使う材料などを伝えれば、原稿ができあがることになります。
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もちろん、ライターとやり取りしながら仕上げることもあります。
さらに、出来上がった原稿を使用する場の、重要性や入魂の度合いなどによって、自身で加筆訂正もします。

内閣官房が練り上げた原稿にしろ、官僚が書いた答弁書にしろ、ライター係りが書いたものにしろ、それが総理の口から発せられる時、すべては総理の発言になるのは当たり前です。

総理や大臣でなかったとしても、地方の小さな都市の市長なども同じです。様々な会合で話す内容は、全て関係する部署の職員が、原稿を書いて準備してくれます。
市長は、そのまま読めば、無難に行事を進めることができるようになっています。
もちろん、発言した内容は、市長の言葉として責任を取らなければいけません。

これが出版界、言論界の常識です。
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池田会長の日々の原稿量は膨大なものです。日刊紙である聖教新聞、月刊誌である『潮』、『第三文明』、『灯台』、『大白蓮華』、『パンプキン』などさまざまな機関紙誌に連載も含めて、多くの原稿を掲載しています。

また、一般の出版物にもしばしば寄稿しています。さらに、全世界で行われるさまざまな会合やイベントに対して、激励のメッセージを送っています。

これらを全て、会長自身が手書きすると、一日の多くの時間を費やしてしまいます。従って、内容を指示して書かせたものもあるでしょう。当然、口述筆記させたものもあるでしょう。
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しかし、どのような作成方法だったとしても、会長自身が出来上がった原稿を厳格に確認していることは確かです。
なぜなら、反学会集団の人は、会長の古い、ほんのちょっとした文章についても取り上げて、激しく攻撃するのが、常だからです。

実際には、書かれた原稿を何度も添削しているのです。特に、会長は、多くの学会歌の作詞をしていますが、それについては周囲の人が驚くほど入念に、言葉の一つ一つを吟味しています。

池田会長という名前を付けた文章は、どのようなものであったとしても、会長が責任を取るものなのです。ゴーストライターによって、いい加減に作られたものなどあるわけがありません。
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池田会長の文章は、全て反学会の攻撃材料にされていますが、その文章について、会長がこれまでに、取り消すとか、訂正する、という事はほとんどありません。
最近の政治家は、発言を取り消して謝罪する、ということがしばしばありますが、それとはレベルが全く違うものです。

池田会長の執筆活動は、公にされる文章だけではありません。実際には、個人に宛てた激励のはがきや色紙、書籍へのサインなど、寸暇を惜しんで書いています。
それらの数はおそらく、1万点を超えるものと思われます。
どれほど、労苦を惜しまず、文字を通して人々の励ましに力を注いでいるのか、身近にいる人がすべてを知っています。

そういう現実を知らずに、ゴーストライターが書いているといって、喜んでいる批判者は、人間としての恥を知るべきでしょう。
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池田会長の著作の多くは、『池田大作全集』としてまとめられています。全集は昭和63年(1988年)に最初の巻が発行されて、平成27年(2015年)に最後の巻が発行され完結しました。
全150巻で、個人の全集としては世界最長クラスのものになっています。

1巻が400字詰め原稿用紙で700枚とすると全部で、10万枚を超えることになります。原稿用紙2万枚を縦に重ねると、人間の背丈は十分に超えるので、10万枚といえば背丈の5倍の高さになるでしょう。

この池田会長の、想像を絶する労苦の結晶である全集に対して、原稿用紙の半分の文章さえ、まともに書けない学会批判者が、「紙のむだ遣い」などと言っているのは、哀れとしか言いようがありません。
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『小説人間革命』と『小説新人間革命』は、池田会長が少年少女向けに書いた童話以外では、唯一の小説形式の作品です。
それだけに、「虚構の真実」という観点から考えれば、会長の魂の真実が表現されているものと言えます。

この作品は、聖教新聞連載小説として書かれたものです。
『小説人間革命』は昭和40年(1965年)の元日号に第1回の掲載をしました。それから、『小説新人間革命』とシリーズを変えながら継続しました。
平成27年(2015年)には二つのシリーズを合わせて、連載7千回に達しました。これは新聞連載小説日本一の回数となっています。
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そして、平成30年(2018年)、『小説人間革命』と『小説新人間革命』を合わせると、約50年に及ぶ執筆を完了したのです。

原稿がまとまった分量になると単行本しています。『小説人間革命』は12巻、『小説新人間革命』は30巻に達しています。両編を合わせると、5千万部を超えて発行しています。
また、『小説新人間革命』は、13の言語に翻訳され、23の国と地域で出版されています。
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日刊新聞の連載小説を持つということは作者にとって、心身ともに非常なプレッシャーになることは言うまでもありません。
芥川賞を取って何度か新聞の連載小説を経験した作家は、
「連載を引き受けることは、寿命を縮めることだ」
とまで言っています。

プロの作家でさえ大きな負担になるものを、池田会長は日本国内はもとより全世界を日蓮仏教の流布(るふ)のため飛び回る中での執筆でした。
それこそ、寸暇を惜しんで執筆しなければ、出来得ないことでした。
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さらに、体調不良のときもあり、ペンを握る体力さえ残っていないこともありました。そんな時は、聖教新聞社の担当記者に口述したことも何度かありました。
また、口述を録音したものを担当記者が、テープ起こしをしたこともあります。

当時の録音はオープンリールに磁気テープを巻いたものですが、録音テープが今も保管されている。

池田会長がどのような状況の中で、またどれほどの思いで、小説人間革命シリーズを執筆していったのか、事実をよく知っているのは聖教新聞社の担当記者です。
担当記者は国内外を問わず、会長の行くところに、様々な資料なども準備しながら随行して、原稿を受け取っていました。
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もし、小説人間革命シリーズの原稿に対して、ゴーストライターが書いたなどと批判するのであれば、批判者はまず、担当記者に取材して事実を確認することが最低、必要なことでしょう。
それをしなくて、中傷のための虚言を喧伝(けんでん)することは、言論人どころか、一般的にも人道にもとる行為に違いありません。

しかし、実際に取材をしたとしても、
「担当記者は池田会長の神話をつくるために真実を言わなかった」
などと言って、相も変わらず批判をすることでしょう。

こういう人こそ、創価学会に入会して、憎悪と猜疑(さいぎ)心にさいなまれる不幸な人生から、人間らしい生き方のできる幸福な人生に転換すべきです。
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池田会長は『小説新人間革命』第1巻の「はじめに」の中で、次のように書いています。

「『新人間革命』は、完結までに三十巻を予定している。その執筆は、限りある命の時間との、壮絶な闘争となるに違いない。しかし、自身のこの世の使命を果たし抜いてこそ、まことの人生である」