第一章【概要】(4)理想郷
もとより、創価学会が完全無欠で、
全く、悪い人間のいない宗教団体である、
などと言う気はありません。
現にこれまでに、
学会の幹部や公明党の議員や学会本部の職員などの中から、
反社会的な行為をなし、刑事罰を受けるような者も何人もいました。
また、学会に対して、敵対する側になった人もいます。
創価学会といえども当然、現実の社会の中で、
本能や感情を持って生きている人間の集まりです。
開き直って言えば、
学会の中から悪事を為すものが出てきて当たり前です。
また、組織に矛盾があって、当然です。
「この教団は信仰によって、善人ばかりの集まりとなり、
悪事を為す人は誰もおらず、全員が憎しみ合うこともなく、
仲良く平和に暮らしている。
皆、幸福で、満足した人生を歩んでいる」
と言う教団があったとしたら、
言うまでもなく、偽善者か二重人格者の集まりです。
あるいは、現実社会を逃避して、
ドグマの世界に自己満足しているに過ぎないでしょう。
浪漫的な少女漫画の主人公が、
大きな瞳を輝かせて、夢見るような、
そんな世界が、この世にある訳がありません。
現実には、理想郷などある訳がないのです。
災害で被災した人の弱みに付け込んで、お金をだまし取ろうとします。
同じく、避難して誰も居ない家に、空き巣に入ります。
インターネット上では、悪質な罠がいくらでもあります。
世界では、テロリズムに洗脳されたり、
宗教的な独善思想によって、
何の罪もない人々を、できるだけ多く殺すことを、
喜ぶ人間が広がっています。
それでなくても、経済戦争、貿易戦争、国境問題など、
日常的に、戦争につながる火種が、いつも、くすぶっています。
これが、今の人々が生活している現実です。
そのなかで、宗教団体、宗教者はどうあるべきなのか、
既成概念を捨てて、考え直す必要があるでしょう。
社会問題や政治問題などを知ることによって、
日々の幸福感が損なわれることを嫌い、
それらの情報を遮断する人がいます。
家庭内の新聞やテレビ、ラジオなど、
情報を伝達するものを全て無くしてしまいます。
もちろん、様々な出来事を報道するマスコミ関係の情報誌などは、
いっさい手に入れないし、家庭にも持ち込みません。
空いた時間は、趣味など自分の好きなことに使います。
こういう生活環境にしても、
仕事に差し障りがない人はかなり居ます。
現代社会には生きているが、社会との接触を極力、
無くした毎日を過ごすのです。
そうすると、どのような日々の生活感覚になるのでしょうかか。
次のようなことを言います。
「以前の、情報に接していたころに比べれば随分、
心が平安になり、
安穏で幸せを感じられる日々を送れるようになりました。
一度しかない人生を、自分に直接関係のない情報によって、
心が乱されるような生活を送るのは、
愚かであることが分かりました」
顔は、清々しい表情をしている人が多いものです。
日本には「八百万(やおよろず)の神がいる」と言われます。
宗教法人として届けられているものだけでも、
18万もの多くの宗教団体があります。
それらの多くが、目指している信仰者の境涯は、
真剣に受け入れる情報は宗教的次元に限定し、
それ以外のものから、身を守って
幸福を感じようとするものです。
これらの宗教は、社会の情報を遮断して、
平安を感じようとするのと、方向性は一致しています。
いくら増えたとしても、
世の中がよくなる訳でもなければ、
社会の発展にもつながりません。
ましてや、戦争やテロなど、
人間の憎しみ合いの紛争を解決して、
平和な世界にすることには全く役に立ちません。
何より、現在の日本の社会状況の中だからこそできる生き方で、
一朝(いっちょう)、有事の際、ミサイルでも飛んでくれば、
そんな『幸せ』など、吹き飛んでしまいます。
きれいごとの幸せや平和をつくろうとしているのではありません。
現実の中で現実を変革しようとしているのです。
言い換えれば、学会も現実社会そのものであるといえます。
違うのは、その中で信仰を根底にして、
一人ひとりの自己変革と社会の変革を実行しているところです。
学会には、悪人もいれば、組織に矛盾もあります。
しかし、そういう状況を、人も組織も力強く変革してゆく、
エネルギーをもっているのです。
だからこそ、現実を変えることができるのです。
駆け引きと打算、正義無き権力闘争の渦巻く、
政治の世界でさえも、改革する力が持てるのです。
学会に入会します。
そして、信仰活動をすることによって、
職場で力を発揮できる自分になったという、
体験は、無数にあります。
さらに、仕事の業績を伸ばし、
信頼を得て、役職も上がる、ということも多くあります。
創価学会の中で、活動し、自己変革することは、
そのまま、現実の職場で、家庭の中で、
より良い、自己と環境になることに直結しているのです。
実は、創価学会のほんとうの強さは、ここにあるのです。
このことを理解できない、第三者が、
いくら、学会を批判中傷しても、
「そういう貴方は、どれだけ、社会に通用する
自己変革を為しているのか、示せますか」
と確信を持っているのです。
ここにあるのです。
とは言っても、当然ながら学会自体も
変革しなければならないことは、多くあります。
現代の組織や団体は、時代や社会の流れと連動して、
様々な問題を改革し続けなければ、
時代に取り残され過去の遺物となります。
学会は常に、この改革を成し続けてきたからこそ、
現在のように発展し、
時代をリードしていけるような、存在にはなれたのです。
上意下達の組織ではありません。
最前線の、地区と名付けた組織ではほぼ毎週、
協議会という会合が持たれています。
ここでは、学会の役職の上下や社会的な立場や老若男女などに、
気をつかうことなく、さまざまな議論がなされています。
その中には当然、活動方針や組織の中の矛盾点、
悪いところが出されて解決策が話し合われます。
さらに、学会外の人からの様々な批判や意見も出されて、
内外のより多くの人から喜ばれる組織へと、
変換するための話し合いがなされるのてです。
敏感に内外からの批判に対して適切な手を打ち、
改善させていく能力のあるところです。
学会は、正当な批判に対しては、
拒否も否定もするものではありません。
むしろ改革のために歓迎をしています。
もし、理想郷があるとすれば、
到達点ではなく、
持続し続ける変革の流れの中にこそ、
存在するのではないでしょうか。
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