第五章【安国と政治】(2)政教一致
現在、政教一致という言葉を聞いて何を思い起こすかといえば、
「創価学会と公明党は政教一致であり、憲法違反である」
ということではないでしょうか。
本来、政教一致という言葉には、世界のさまざまな国での、さまざまな宗教と政治の関わりの歴史が含まれています。日本においても宗教と国家・政治の関連は国体ができて以来の長い歴史を持っています。
これら、多くの関連事項を持った言葉なのですが、なぜか中心的には、学会と公明党への批判用語として使われます。
どうしてそのようになったのか、言葉の本来の意味も押さえながら考えてみたい。
政教一致の原型は祭政一致です。祭政一致というのは字の通り、宗教的行事を行う者がそのまま政治の中心者となって世の中を治めていくというものです。
人間が集団になって暮らすようになってから、自然的に発生してきた指導者とも言えます。
人間が集団になれば、誰か指導者を立てなければ、集団として秩序立てることができないし、まとまって行動することもできません。
指導者は人間が社会を形作る上では必須のものです。
この時、指導者の資格としてもっとも単純で明快だったのは、絶対者の意志が理解できる者ということでした。それは絶対者に最も近い人であるか、絶対者そのものであるかを意味しています。
指導者というのは、他の者には無いものを持っている必要があります。特定の人にだけ絶対者の意志が理解できるとすれば、その人が指導者になる資格を持っていると言えます。
こうして選ばれた指導者は、絶対者の意志を知るために、さまざまな宗教行事を行いました。それによって、この指導者が行うことはすべて、絶対者の意志だということを周知し、集団を指導し運営していったのです。
これが祭政一致です。人類の歴史上、社会生活の始まりの段階では、大抵この過程を通っています。
政教一致というのは、祭政一致の中での宗教的行事の比重が低くなったようなものです。
古代の時代から萌芽し、人間社会の体制が整っていく中で、できあがった形態です。
それは、ある宗教教団の宗教的指導者たちが、そのまま政治上の指導者にもなるものです。そして、宗教的教えを、政治的権力を伴って政策として実施することになります。
だから、祭政一致が社会的発達に合わせて変化したのが政教一致と言えます。
ただ、両者の厳密な相違は明確ではありません。
いずれにしても、特定の宗教的ドグマにもとづいて、政治を実施するという事が基本になっています。
これは非常な危険性を孕(はら)んでいます。特に、特定の宗教が、排他的な攻撃性を持ったものであれば、他宗教の諸国への戦争行為に走ることになります。
当然、国民に対しては特定の宗教を強制することになり、個人の「信教の自由」などはあり得ません。
この様な国体にならないようにするために定められたのが憲法の政教分離です。第二十条には次のようにあります。
「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」
政教分離は先進国のほとんどが取り入れている国家体制の基本です。特に日本の分離規定は厳しいものになっています。それは言うまでもなく、戦争の反省からです。
第二次世界大戦は、政教一致の典型です。宗教は国家神道に強制的に統一し、さらに思想、教育、文化的なものまでも国家神道に服従させるようにしました。
そして国民には、神社を強制的に礼拝させ、天皇を現人神(あらひとがみ)と信じさせました。
その結果、「八紘一宇(はっこういちう)」という、侵略戦争を正当化し、聖戦と信じさせる宗教的バックボーンが出来上がったのです。
「八紘一宇」というのは、日本には全世界の中心となって治めていく特権がある、というものです。
日本の国は、皇国、神国日本となりました。そして国民は、神である天皇のために、神国である日本のために命を捧げることが最上の生き方となりました。
一度だけ命を捧げるのでは足らなくて、「七生報国」といって、七回も人間に生まれ変わってでも国に報恩を尽くす、ということになりました。
兵士は戦場で天皇のため、国のために死ぬことを誇りとして、「天皇陛下万歳」と言って敵に撃たれて死んでいきました。
さらに、「東洋平和のためならばなんの命が惜しかろう」(作詞藪内喜一郎)と軍歌を歌いながら、侵略戦争を拡大していったのです。
「東洋平和のため」と言って、敵兵のかけがえのない命を抹殺しました。
これが、日本の政教一致の行き着く先でした。
日本が特に憲法で政教分離を厳格に規定しているのは過去のこのような戦争への反省からです。
これまでしばしば、創価学会と公明党に対して政教一致を攻撃材料にしています。実は全くの勘違いであるといえます。政教一致を最も厳しく弾劾しているのは創価学会です。
創価学会の牧口初代会長と戸田第二代会長は戦時中、国の宗教的統制による戦争遂行の意向に従わずに、日蓮仏教を広めました。それ故に、特高警察により逮捕され、牧口会長は獄死しました。
宗教と政治が結びついて「信教の自由」を踏みにじり、都合の悪い宗教団体に対して迫害してくるという不条理と怖さを身にしみて感じているのが創価学会なのです。
翻って現在の状況を見ると、これは過去のことではないことが分ります。いつの時代でも政教一致の危険性をはらんでいるといえます。
1つの例は、1995年(平成7年)に成立した「宗教法人法の一部改正法」です。
この法律の必要性について、当時の与党は、正当らしく見えることを巧妙に並べ立てましたが、結局のところ、自社さ連立政権の創価学会つぶしであったことは関係者でなくても、よく知られているところです。
創価学会が選挙において、票の行方を大きく変える力があることを恐れてのことでした。
言うまでもなく、当時の連立政権には、反創価学会の宗教関係者やそれらから支持を受けている議員が多くいました。
これこそ、現代版政教一致以外のなにものでもないでしょう。
実際にはこれまでに、これに類する動きはいくらでもありました。
権力を握ると、自分たちの権力保持のために、政教一致の見本のようなことを何度でも、陰湿に画策してきたのです。
そういう人達が、創価学会・公明党を政教一致だと言って批判するのですから、あまりにも幼稚すぎます。
国会議員がこんな幼稚なことを平気でするのは、国民を欺き、小バカにしているからにほかなりません。
「どうせ、国民の教養は低レベルだから、公明党と創価学会は政教一致だと歪曲(わいきょく)して批判したとしても分からないだろう」
と考えているのです。
「まさか、国会議員がそんな幼稚なことはしないだろう」と思うようなことを創価学会批判議員はするものなのです。学会批判の歴史を紐解けば一目瞭然です。
政教一致を創価学会批判のスローガンのように使っているうちに、言葉自体の解釈にも微妙な変化が出てきました。
例えば、公明党の国会議員が様々な機会に創価学会員と会い、そこで会員から仕事や地域やその他の様々な事について、生活をより良くするための要望を受けたとします。
それを、国会議員なら国のレベルで実現しようとするのは当然のことです。
それなのに、学会批判者は、「創価学会員の言う事だけを聴いて、会員にとって都合が良いように政策を実施しようとする。政教一致だ」などと攻撃をするのです。
もし、これが政教一致というのであれば、多くの国会議員が既成仏教や新興宗教団体から指示や推薦を受けていますが、その信者と話をして要望を聞いてはいけないことになります。
ところが当然ながら、各政党や議員は支援してくれている宗教団体や信者からは丁寧に要望を受けています。
しかし、公明党と創価学会以外の、宗教団体と政党の関係を政教一致などと批判されたことは一度もないのです。
国民はこの矛盾に気づかされずに、学会批判者の口車に乗せられて、政教一致の真実が理解できなくなっているのです。
もちろん公明党が、政権を動かして、新興宗教や既成仏教に不利になるような政策を実施したり、学会を優遇するようなことをすれば政教一致です。
しかし当然ながら、このようなことをするわけはないのです。
なぜなら、政教一致の怖さを、身を持って知っているのが公明党・創価学会なのですから。
政教一致をもう少し原理的なところから考えてみると理解しやすいでしょう。
例えば、社会主義を思想的背景にした労働組合があったとします。
その組合が支援した国会議員がいます。議員に対して組合員が、職場や仕事などについて、国政によって改善できる可能性のあることを要望します。
議員は国の立場から組合員の仕事環境が良くなるように様々な働きをします。労働者の意向を受けとめて国政に反映させるのだから、これは当然のことでしょう。
もし労組の支援を受けた議員が、国家権力を行使して、社会主義思想以外の思想や宗教を弾圧する政策をとったとするならば、これは思想的な政教一致になります。
政教一致というのは、単に宗教に限らず、思想的なものにも通じるものなのです。
このことは、共産主義についてみるとさらに明確になります。
共産主義は他の思想とは異なるところがあります。それは、共産主義者マルクスが「宗教はアヘン」と言ったにもかかわらず、共産主義という思想がまるで信仰の本尊のようになっているということです。
共産主義者は共産主義の国家が実現すれば、幸福な社会と生活を手に入れることができると信じ込んでいます。だから現在、社会の矛盾に苦しまされているとしても、理想的な共産主義社会の建設を目指して資本主義と闘争することは喜びであり、救いとなります。
古い活動家には、闘争が生涯の使命ともなっている人がいます。まさに、共産主義の信仰者なのです。
もう一つ、他の思想と異なることは、目標である共産体制確立のためには手段を選ばないということです。共産主義国家を樹立するためには、武力革命も許されます。武力が許されるくらいだから、ましてやそれ以下の虚偽や陰謀、リンチ・恫喝・脅迫などと言ったようなことも理想国家建設のためなら正当化されるのです。
これもまた、社会に危険を及ぼす宗教団体と同じです。自宗のドグマ以外はすべて不正であり悪なのです。
一般人が共産主義者に感じる疑問に、「どうして、そんなに平気でウソがつけ、しかもそのことに心が痛まないのか」ということがあります。世界の共産主義国家で起きた事件などにたいする感想でもよくあることです。
理由は簡単です。共産主義者にとっては、理想的な目標のために利用される虚偽は悪ではなく、「ウソも方便」で善になるのです。
現在の法律を犯すような犯罪でも、革命のためであるならば、今の法律が悪いのであって、革命成就後には法律も変わり、称賛されるべきものになり、正当な行為となるのです。
日本共産党においても、以前は選挙になると平気で公共物に選挙ポスターを貼っていました。
さらに、公示日を過ぎても、証紙のないポスターをそのままにしているところもありました。これはもちろん公職選挙法違反です。
日本共産党も現在では、表面的には社会に順応するように見せていますが、革命のためには手段を選ばない、という根本精神に変わりはないのです。
共産主義国は成立させるためにも、武力革命などによって多大な犠牲が出ます。さらに共産主義の体制維持のためにも、また多くの犠牲者が出てくることは、世界の歴史の中で明確になっていることです。
もっとも大規模なものは、ソビエト連邦におけるスターリンの大粛清であることは言うまでもありません。
犠牲者の人数は明確にはなっていませんが、少なくとも50万人以上が処刑されました。スターリンの共産主義体制にとって邪魔だということだけで殺されたのです。
これは過去のことではありません。最近でも中国共産党によって捕らえられていたノーベル平和賞受賞者の劉暁波(りゅうぎょうは)氏が獄中で肝臓がんのため死去したことが伝えられました。
劉氏は民主化運動を推進する人権派活動家でしたが、「国家政権転覆扇動罪」という罪により懲役11年の刑に服役している途中でした。
中国に限ったことではありません。現在でも共産主義体制をとっている国では多かれ少なかれ、「国家政権転覆扇動罪」と同じような法律によって、民主化運動家や人権活動家が理不尽な迫害を受けています。
共産党一党独裁政治というのは必ず、国家体制に批判的な勢力に対して徹底した攻撃を行い、命を奪うことも体制維持の名目のもとに正当化するものです。
人間の命よりも体制の方が重みを持つのです。
ちょうど、絶対者を祭り上げる宗教が、絶対者のために信者の命を粗末にさせるのと同じです。生命尊厳の基本思想に欠けているのです。
それから、共産党の官僚組織というのは、これもまた必ず腐敗堕落をします。この二つは共産主義国家の宿命のようなものです。
日本でも時々、政権に対する不満から、共産主義に期待する傾向が強くなる時があります。しかし、共産主義というのは、一般に出回っている様々な情報をもとに描かれるような、期待される社会体制ではありません。
ウソかホントか一度、日本の政治を共産主義者に任せてみればよく分るでしょう。どれほどひどいことになるのか、取り返しのつかないことになるのか、民主党の「失われた三年」どころの話ではないのです。
気が付いた時には、共産主義の都合のよいように法律が変えられ、共産主義の政権を交代不可能な体制にしてしまいます。
そして、体制批判者にはあらゆる罪をかぶせて、この世から抹殺しようとするに違いありません。これこそ、思想的政教一致の極みではないでしょうか。
ここで、話を戻しますが、公明党と創価学会対する政教一致批判は、実は法律的な問題ではなく、極めて政治的な問題なのです。
その批判の表れ方を見ると面白いことがわかります。前項の説明と一部、重複しますが再度、確認しておきます。
1993年(平成5年)、細川連立政権が誕生しました。
この時、公明党は民社党などと連立を組んで与党となり、自民党は野党に転落しました。
翌年、自民党の国会議員が裏で中心となり、「信教と精神性の尊厳と自由を確立する各界懇話会」なるものを立ち上げました。これには反公明、反学会の多くの個人や団体が集まりました。
中には世間的に良識のあると思われている著名人も多くいました。
この集団は、自民党の国会議員の庇護と応援を受けて、政教一致で激しく公明党と学会を攻撃してきました。
逆に、以前、連立を組んでいなかった時には、政教一致をネタに池田会長の国会への証人喚問などを要求して徹底して学会を攻撃していた民社党は、連立を組んでからは、公明党にも学会にも全く批判をしなくなるどころか、手を組んで細川政権を支えのです。
1999年(平成11年)、自自公連立政権が誕生しました。自民党が自社さ連立政権に続いて政権を維持し、公明党も連立を組んで与党になりました。
現在の自公連立政権の出発になるものでした。
この政権が発足すると同時に、自民党の学会への政教一致の攻撃は全くなくなりとました。
当然、「信教と精神性の尊厳と自由を確立する各界懇話会」は自然消滅のように解散しました。
これでよく分かるでしょう。政教一致という言葉で学会や公明党を批判しているのは、政教一致という言葉の真実の意味とは関係なく、政争の具として利用しているだけなのです。
批判者にとっては、公明党と創価学会が政教一致であろうがなかろうが実は、どうでもよいことなのです。攻撃する材料として効果的で使いやすいから使っているだけなのです。
だから、味方になれば政教一致などどこ吹く風と、公明党と仲良くやり、逆に敵対の立場になれば、絶叫するように政教一致批判をするのです。
日本の政治家のレベルというのはこの程度のものです。政治生命をかけて信念や政治理念などを、どのような立場や状況になろうが、貫き通すというような尊敬できる生き方をする政治家はほとんどいません。
高尚な精神性など全く持たず、保身と打算、権力欲の満足を求める自己中心的な生き方をする、信用できない人たちです。
公明党は政教一致批判について誠実に対応しています。
それは、国会で批判が出てくるたびに、何度も内閣法制局の見解を求めていることです。
内閣法制局は、法案や法制についての審査、調査を行う機関であり、「法の番人」ともいわれているところです。
これまでの答弁ではすべて、学会と公明党の関係は違法なものではない、という結論になっています。
それにもかかわらずいまだに、政教一致批判をしているのは、
「嘘も百回言えば本当になる」という戦略にほかなりません。
多くの人が、近代化した現在の日本の政界において、こんなばかばかしい事がまかり通るはずはない、と思うでしょうが、実際には各政党がよく使う方法なのです。これが日本の政治のレベルです。
ところで、公明党と創価学会に対する政教一致批判は一定の成果を上げているといえます。それは、
「創価学会と公明党は、なんだかんだと言い訳はしているが結局、政教一致であるに違いない」
という世論をある程度、固めたからです。
さらに、政教一致批判を真実らしく思わせるために行う常套手段があります。よく野党の某政党などがやることです。それは、憲法の専門家といわれる大学の教授や法学博士の資格を持った学者などを登場させて、
「創価学会と公明党は重大な憲法違反にあたる」
などと言わせることです。法律に詳しくない一般の人が見れば、
「あのような、世の中に認められている偉い法律専門の方々が、誤ったことを言うわけはない。真実は政教一致なのにごまかしているのだ」
と思い込んだとしても仕方のないことです。
このように、世間から高い信頼を得ている、様々な分野の専門家に学会批判をさせることは、非常に効果を上げます。学会の言っていることは、その分野の専門家からみれば子供だましのようなものだ、と確信させるのです。
ところが、この専門家というのがくせ者なのです。学会と公明党の関係を憲法違反だと言った学者の論理をよく調べてみると、原理主義者の様相を呈していることがわかります。
だから、その人たちの論理からいけば、自衛隊は憲法違反なので即時廃止しなければなりません。国政選挙における一票の格差が違憲状態ならば、その下で行われた選挙自体も無効ということになります。
例えて言えば、ほとんどの薬剤には副作用がありますが、
「副作用のある薬剤の使用を許可することは、製薬会社の利潤を何よりも優先するものであり、生命軽視である。直ちに使用禁止にすべきだ」
というのに等しいのです。
薬剤を使用禁止にすれば、当然ながら副作用は出ないでしょうが、救うことのできた無数の人々の命が失われることになります。
もしも、これらの学者の主張通りに法解釈をして実行したならば、日本の国は一瞬にして崩壊するでしょう。国民は混乱した社会の中で、塗炭の苦しみを受けるに違いありません。
そんな時、これらの学者には責任を取る能力が全くないのだから、無責任きわまりないと言わざるを得ません。
公明党や創価学会に対する政教一致批判というのは、利害関係を根拠にする批判であって、社会正義に基づくものとは全く逆行するものです。
客観的、良識的に判断すれば、政治と宗教のあるべき姿を実現しているのが公明党と創価学会の関係だというのは、誰が見ても分ることなのです。