第四章【権力との対峙】(4)言論出版妨害事件

(A)言論出版妨害事件の本質

「言論出版妨害事件」と入力してインターネットで検索すると、創価学会と公明党が、学会を批判する出版物の発刊を妨害した事件として出てきます。
一般的に言論出版妨害と言われるようなものは、これまでに多くあったのですが、どういうわけか創価学会関係のことが固有名詞のように取り上げられています。
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常識的に考えれば、個人なり団体なりが自分のことに対して、意図的で悪意に満ちた批判を書いたものを出版しようとしていることが、事前に分かった時、何らかの形で出版させまいとするのは当たり前でしょう。
特にその内容が、基本的人権の侵害や名誉棄損に当たる可能性のあるものであれば、なおさらです。
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この「言論出版妨害事件」というのも同じで、単純な話なのです。
それを「事件」にまで仕立て上げたのは、政治的意図によるものだったのです。
もしこの時点で、公明党が設立されていなかったとしたら、「事件」にはなっていなかったでしょう。
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発端は昭和44年(1969年)、1人の評論家が、『創価学会を斬る』という学会批判本を出版しようとしていることを学会が察知したことから起きたことでした。
内容は、学会と公明党を偏見と予断にもとづいて批判するものでした。

書き出しは、
「日本の極貧層は約五百万人である。創価学会員全員が日本の極貧層とは言わないが、日本の底辺層の民衆である」
というような意味のもので、全編にわたって、聞くに耐えない言葉で学会をののしっています。
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それに対して学会幹部と公明党議員が、内容は学会に対する正当な批判ではないと抗議をするとともに、どうしても出版するのであれば、正しい学会理解をするための取材や資料の提供はする、と申し入れました。

この時までにも、学会批判書籍を出版したり、出版予定のものに対して、正当な抗議はしていました。
しかし、「言論出版妨害事件」というような社会的、政治的な問題にはなりませんでした。理由は、公明党の議員が動くことはなかったからです。
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それに対して、「言論出版妨害事件」では議員の抗議の動きが大きかったのです。
それも当然で、書物の内容には創価学会批判に加えて、公明党への誹謗中傷も学会と絡めるようにして書かれていました。公明党の議員が抗議して当然でした。
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時々、こういう学会の抗議行動に対して、

「言論の自由の妨害だ。出版を邪魔するのではなく、学会が正しいと思うのであれば、出版されたものに対して堂々と名誉棄損などの法的な手段で対応すべきではないか。
そうすれば、客観的に学会の正当性も証明されるだろう。姑息な手段を使うのは、学会の主張が反社会的であるということを証明することになるではないか」

という人もいます。
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確かに、その通りでしょうが、悪質な学会批判者は一筋縄ではいかない謀略者がほとんどなのです。
この「言論出版妨害事件」のきっかけとなった『創価学会を斬る』も単純に、学会や公明党の批判を書くことが目的とは思われませんでした。

この出版物は、人権など社会通念上、問題があるということで、さまざまな出版中止への働きかけがあったにもかかわらず、結果的に全く修正もされずに単行本として発刊されました。
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問題なのはその時期です。
それは、昭和44年(1969年)の10月末に発刊されています。その約2カ月後には、第32回衆議院議員選挙が行われています。明らかに、衆議院選挙に対しての公明党攻撃の意図が込められていました。
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内容もそれを意識したものでした。

「創価学会は、日蓮正宗を国教化して国立戒壇を建てようとしている」
「学会は組織への盲目的服従を強制しており、選挙になれば、住民の集団移動も辞さない」
「学会と公明党は、民主主義の敵であるから、公明党は解散すべきである」
「信者を勧誘する折伏(しゃくぶく)は人の不幸に付け込む行為だ」
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この様な、評論というよりも罵詈雑言(ばりぞうげん)を並べ立てたものでした。この本は、世間の注目を集めるところとなり、100万部を超えるベストセラーとなりました。
創価学会批判の単行本としては最大部数の販売でした。

この本によって創価学会の実態とは全く違った、
「一人のカリスマに操られて闇にうごめく、反社会的な極貧層のカルト集団」
というイメージが社会に広く流布したことは間違いありません。
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出版から50年以上経った現在でも、
「創価学会員は選挙のたびに住民票を移動する」とか
「創価学会員は貧乏人である」
ということが真顔で語られる場面に出くわすことがあることを考えれば、その影響力は甚大なものだったといえます。

創価学会に極めて悪質なイメージを定着させた罪は、償いようがないほど重いといえます。
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おそらく、筆者の評論家は現在の億の印税を手にしたことでしょう。この大儲けにさらに欲を出して、「続・創価学会を斬る」、「新・創価学会を斬る」 などの学会や池田会長への批判書物を出版しています。

現在でこそ少なくなりましたが、国政選挙の前には必ずといっていいほど、学会批判の出版物が多く出たものです。選挙妨害のデマに近いような内容のものもありました。それらが実に巧妙な手口で行われるたのです。
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この当時の、国政選挙と投票日前の3ヶ月以内の創価学会批判の週刊誌や単行本の発刊状況を調べてみると、その傾向があることがすぐに分かります。
選挙の度に、ほとんど毎回と言えるほど学会批判が世上に広がりました。

何のための批判なのか、一目瞭然です。
マスコミを利用できる学会批判者は、注目度の増す国政選挙を最大のチャンスと捉えていたのです。
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内容としては、悪知恵を働かせたものが多く、関係者以外のものが読めば、十分に納得させられる論述になっています。
こういう学会批判者は、打撃を与えるためにはどのように攻めたらよいのか、攻撃のツボを見抜いています。

目的は一つ、創価学会を潰すということです。そうすれば、同時に公明党も潰れるわけです。
その最も効果的なツボは、どこなのか。
公明党を攻撃することではありません。公明党を攻撃したとしても学会が安泰であれば、ビクともしません。
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創価学会自体を攻撃したとしても、学会員が読めば、学会の真実の姿を知っている訳ですから、すぐに虚偽だと分かります。外部からの印象は少々、悪くなるかもしれませんが、学会員へのダメージは、まったくと言っていいほどありません。

それでは学会を潰すための最適な方法は何か、それは池田会長を失跡させることです。会長以外のものを攻撃目標にしても、強固な学会の組織を崩すことはできない事を本格的な学会批判者は知っています。
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あらゆる事を、池田会長の為した悪事としてでっち上げ、徹底して集中砲火を浴びせることが、最も効果的であると確信しているのです。
その中に、公明党をからめて攻撃すれば、最高の作戦になります。
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さらに、実行時期を国政選挙前に設定すれば、効果絶大です。
公明党の議席増を憎悪している政治家や政党が、絶好のチャンスとばかり、飛びついてくるのです。
そして、重大な社会問題として、国会の場で取り上げ、池田会長、学会、公明党の責任を追及するわけです。
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その結果、社会の注目を集めるところとなり、批判記事を掲載した週刊誌や単行本が非常に多く売れます。出版社も執筆者も笑いが止まらないほど儲(もう)けます。
学会批判者にとってはまさに、一石三鳥の作戦だったのです。
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この学会批判のパターンは、最も効果的だったために、何度でも繰り返されました。
統計的に調査すれば、これが事実であるということは、明々白々です。
同時に、この類の創価学会批判とは、宗教上の正邪とは関係なく、政治上の権力争いであることが明確になります。
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創価学会批判者は、どうして批判をするのか、その理由について、共通して言っている事は、

「国民が創価学会に騙されないための正義感から。社会的に影響力を持った創価学会に政治が乗っ取られないようにするための正義感から」
ということです。
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さらに、
「純粋な信仰心を持った末端の学会員が、学会の上層部の野望を実現するために、犠牲にされているのは人権上、問題がある。これらの人を救済せずに放っておくことは、社会正義に反する」
などと言います。
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「創価学会は、宗教的にも社会的にも悪であり、その悪との正義の闘いである」という訳です。
しかし、これは大嘘です。批判者の常套句(じょうとうく)として、いつも使われてきた言葉です。
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「正義面(づら)をする。正義ぶる」
これは学会批判者に、不思議なほど共通する演技です。創価学会批判の原理といえます。
本音を隠すために正義を主張しているのです。強く主張すればするほど、後ろめたい本音が深いということです。
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それでは、どうして大嘘だと分かるのか、それは歴史が証明しています。

もしも、創価学会が悪の巣窟であるのなら、現在でも時期に関係なく、学会批判の週刊誌や単行本が次々と出版されるべきでしょう。
ましてや、国政選挙の前には、反学会キャンペーンを繰り広げるべきです。
正義感があるのであれば、それくらいやって当然でしょう。
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ところが、現在は選挙の前にも大々的な学会批判は、ほとんどありません。
また、学会批判の単行本も、少数は発刊されていますが、ベストセラーに入るほど売れているものは全くありません。
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それどころか逆に、田原総一朗さんの『創価学会 なぜ、ここまで強いのか?』(毎日新聞出版)や佐藤優さんの、AERA連載『池田大作研究―世界宗教への道を追う』(朝日新聞出版)など、学会を正視眼で正当に評価する出版物が、続いて発刊され、実際によく売れています。
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どうして、『創価学会を斬る』出版のころに比べると、まるで火が消えたように批判が下火になったのでしょうか。

答えは、実に簡単なのです。
儲(もう)けなくなったからです。学会批判をしても以前のように、出版社も批判者も政治家も、利益にならなくなったのです。
このごろは、創価学会批判をしても、出版物も売れなければ、注目もされないし、票も取れなくなったのです。
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何の事は無い、あれほど批判をしていたのは、ただ金と票が欲しかっただけの事なのです。
「正義」など初めから、どうでもよかったのです。
なんだかんだと大義名分を唱えますが、ほとんどの創価学会批判の本質はここにあります。
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(B)事件の背景

悪知恵の働く学会批判者は、我欲の本音を言葉で、非常に巧妙にごまかして、正義の旗のもとに社会問題化し、人々を欺(あざむ)きます。

表現は悪いですが、悪賢い批判者にとって、民衆をだますのは、赤子の手をひねるようなものなのです。
ほんの一部の事実を針小棒大に取り上げてつなぎ合わせ、あたかも、創価学会や池田会長が悪の権化でもあるかのように思いこませるくらいは、お手の物なのです。
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一般民衆を知識レベルの低い者と見下し、自分の賢さからすれば、どのようにでもだませる、と自信を持っているのです。

こういう悪賢い批判者に対しては、学会として正々堂々と、法的手段に訴えればよいのは確かです。
しかし当然ながら、訴えられる可能性のあることは百も承知で、様々な逃げ道を作ったうえで出版をしています。
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文章の書き方にしても、幼稚な責任逃れの表現をします。

「会員には、違法な選挙運動を強要されているという不満が、学会の組織の末端の方にはくすぶっている」

とか、
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「暴力を使っても、脅迫してもよいからとにかく信者を増やせ、と四六時中責めたてられた、というような証言をする元学会の中堅幹部も多くいる」

この様な書き方がほとんどです。
もちろん裁判になれば、「末端の方」や「元学会の中堅幹部」とは具体的に誰のことか、実際に、いつ、どこで、誰に取材をしたのか、ということが問われますが、プライバシーや人権問題を盾にして、のらりくらりと言い逃れるのが常です。
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時には、批判者の主張を証言する、元学会員というサクラ(偽客)が登場することもあります。
「確かに、幹部にそのように命令された」と証言しますが、「いつ、どこで、誰にかは、はっきり覚えていない」
と言えば、どうしょうもありません。
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さらに、言われた幹部を特定したとしても「言った」「言わない」の水掛け論になってしまいます。
裁判が長引いているうちに、批判内容が「そんな事もあるだろう」と多くの人に広がっていくのです。

例えもし、名誉棄損で訴えて裁判に勝ったとしても、選挙の公明党の躍進を妨害するために出版されたものであったとしたら、選挙が終わった後の勝訴は遅く、学会批判者の目的は完全に達成されたことになります。
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それに、出版社側は敗訴したとしても、判決はわずかの罰金とわずかな謝罪文掲載程度でしたので、痛手はありませんでした。
逆に、「創価学会の批判をした」ということで、人気が出る風潮さえありました。
さらに、出版物が売れてもうける金額は、罰金よりもはるかに多額でした。
出版社にとって、確実に利益の上がる創価学会批判くらい、うまい話は無かったのです。
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多くの出版社が競うように、学会批判の週刊誌、月刊誌、単行本などを次々と発刊しました。

学会としては、そういう出版物が市中に出回ると、誤った学会像が世間に広まることを防ぐことができないのが現実でした。
たとえ、後日、学会が勝訴したとしても、それを報道する出版社は全くといっていいほどありませんでした。
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それもそのはずで逆に、もし学会勝訴を大きく報道する出版社があれば、あらゆるところから、嫌がらせや攻撃を受けました。販売部数減にも繋がりました。
どこの出版社もそれが怖いうえに、学会勝訴という客観的な事実さえ、報道する正義を持ち合わせていませんでした。

これは何度も繰り返されてきた創価学会批判の、決まったパターンです。
理不尽な学会批判をした出版社に、正義を口にする資格はありません。
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こういう経緯から、真実の学会の姿を世の中の人々に知ってもらうためにも、批判記事の筆者や出版社に対して、正しい学会の姿を認識してもらうために、さまざまな働きかけをしたのです。
特に、出版前にその情報が入った場合には、事前に対応するようにしたのです。
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学会のこの行動には、確かに少し誤解を生じる面もありました。
特に、『創価学会を斬る』の内容が、公明党と学会とを関連付けて批判中傷するものでしたから、学会幹部と公明党議員とが同じ行動をとってしまいました。

同じ理不尽な批判をされる被害者として、一緒に抗議するのは、世間的には当然だったのですが、学会批判者にとっては恰好の材料となりました。
そして結果的に、「言論出版妨害事件」にまで、騒ぎ立てられてしまったのです。
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『創価学会を斬る』の単行本が、衆議院選挙前の10月末に発売されると、待っていたかのように様々な、
「創価学会と公明党による出版妨害の驚くべき実態」
という内容のものが次々と報道されていきました。
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さらには、選挙の数日前になって、多くの文化人や知識人が参加している「言論・出版の自由に関する懇談会」というところから、「言論出版妨害事件」に対して、

「憲法第二十一条で保障されている『言論・出版、その他一切の表現の自由』を侵す行為を断じて許すことができません」

との声明文が発表されました。
学会、公明党に対する批判はテレビ、新聞、週刊誌など様々なマスコミが大々的に取り上げて、激しい攻撃の嵐となっていきました。
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そんな状況の中、昭和44年(1969年)12月27日、衆議院選挙が行われました。
年末に行われたので、「師走選挙」とも呼ばれました。
また、会社関係は年末の休業日であったので、国政選挙としては異例の土曜日であり、話題となりました。
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選挙結果予想では、激しい逆風の中で行われた公明党は、伸び悩むだろうと思われていましたが、全くの逆でした。
解散前の公明議席は25でしたが、2倍に近い47議席を獲得しました。選挙結果を報道した各紙も「公明躍進」という大きな見出になりました。

社会党は134議席から90議席へと激減しました。民社党は31議席で変わりませんでした。
しかし、公明党の躍進で、第3党の座を公明党に譲ることになりました。
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公明党や学会が、選挙前にさまざまな方面から、度を越した批判中傷を受けたにもかかわらず、大躍進した結果に対して世の中は驚きをもってみていました。
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(C)和歌山1区の異変

この衆議院選挙は激しい逆風の中にもかかわらず、倍増に近い大勝利でした。
学会が攻撃的な非難に対して極めて強いことを証明した選挙でもありました。

その中で、創価学会、公明党の選挙の闘いが、どのようなものかを象徴する選挙区がありました。
それは和歌山1区の選挙です。
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この選挙区では、ある国会議員が長年、定席として1議席を取り続けていました。
その議員が最初に当選したのは、昭和17年(1942年)の第21回衆議院総選挙でした。

それ以来、11回連続当選をしていました。
戦後は日本自由党の結成にも参加し、その後は自由民主党に所属して活躍しました。
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議会運営や国会対策にも力を発揮し、内外ともに影響力のある議員でした。
岸総理大臣の下では国務大臣も務め、その後、衆議院議長にまでなりました。名実ともに党の重鎮でした。

この選挙区は3人区で、たいてい、2議席を与党のこの議員ともう1人の自民党議員が獲得していました。残り1議席を社会党など野党が取っていました。
この構図は戦後の自由党のころから一貫して変わらない定着した選挙情勢でした。言わば、三議席は投票する前から決まっていたとも言えるところでした。
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この選挙区に、逆風の嵐の中にいた学会は、新人の公明党候補を立候補させました。ほとんどのマスコミは、当然ながら当選圏外の予想を立てていました。
客観的に見れば無謀な立候補でした。

年末の投票日、12月27日が近づいてもマスコミの予想はまったく変わりませんでした。公明候補者は当選圏外から脱却できませんでした。
マスコミも選挙区の有権者も、公明は泡沫(ほうまつ)候補と見ていました。
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投票日まであと1週間という21日、県立体育館に1万人の会員が集まって創価学会和歌山県幹部会が開催されました。

この会合に池田会長が出席しました。この時の会長の体調は非常に悪い状態でした。
急性気管支炎で前日には体温が40度5分もありました。医師も付き添って治療をしましたが、体を動かせる状態ではありませんでした。立ち上がってゆっくりと歩くことも困難になっていました。
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医師からは無理をすると命の危険もあるので、安静にするように告げられました。急きょ、東京から夫人も来て付き添いました。

周囲の幹部は会長が幹部会に出席することを強く止めました。しかし会長は、
「断じて行く。広布の戦いで倒れるなら本望だ」
と言って出席したのです。広布というのは、日蓮仏教を広めて、個人の幸福と国や社会の平和を実現する活動のことです。
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会長は壇上に立つと自ら主導して、16回ものシュプレヒコールをしました。そして三十分近くの激励のスピーチをしたのです。
さらに最後には、会場からの要望で、武田信玄の出陣の様相を詠った『武田節』の指揮を取って全員で大合唱しました。

その後、会長は舞台から降りて控室に入ると、ソファーに倒れるように横になりました。
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一般の参加者は、会長が最初に登壇してから、最後に扇子を持って勇壮な指揮を取る姿まで見て、誰も重篤(じゅうとく)な状態だとは思いませんでした。ただ、発熱のため顔が赤みを帯びていましたが、それさえも会長の熱情の現れであるかのように見えたのです。
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翌日、和歌山の会員に幹部会での会長の病状が知らされました。多くの会員が感動して涙しました。
と同時に、一週間後に迫った選挙戦に断じて勝つとの深い決意が湧きあがりました。
それはそのまま、怒涛の支援活動のうねりへと連なったのです。
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選挙戦の様相は一変しました。わずか一週間の間に、当選圏外に弾き飛ばされていた公明党の候補者は、信じがたい勢いで当選圏へと突き進んでいきました。

選挙結果は、新人の公明党候補がトップ当選でした。6万3千票近くの得票で、得票率は20%にまで達していました。
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親の七光などもない、新人の国会議員を誕生させるということが、どれほど大変なことか、支援活動をした人でなければ分かりません。

創価学会が国会議員を誕生させているということで、簡単に当選させることができると錯覚をして、新興宗教団体が国政選挙に立候補させたことがよくあります。
しかし、選挙前の大言壮語の自信とは反対に、ほとんど当選させていません。
国政選挙がどのようなものか全く理解できず、ナメてかかっているのです。
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議員を一人、国会に送り出すことがどれほど困難な作業であるのか理解できれば、創価学会が、口先だけの作り物語を言うような宗教団体とは根本的に違うことがすぐに分かるはずです。

公明党の議員は、学会員がどれほど苦労をして自分を当選させてくれたかをよく理解しているからこそ、議員になってからもその原点を忘れずに国民のために、国のために我欲を捨てて尽くすことができるのです。
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だから、公明党の議員は他の政党の議員より、国民から顰蹙(ひんしゅく)を買ったり、辞任しなければならなくなるような人が少ないのです。

逆に、マスコミの情報戦に乗って追い風を受け、苦労せずに当選した議員の中には、常識が疑われるような言動を平気でやり、国民から軽蔑されるような人が多く出ていることも事実です。
この頃、世間を騒がしている某政党の当選2回生議員などはそのよい例であるといえます。
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和歌山の選挙区において、公明党の新人がトップ当選したというのは世間を驚かすところでしたが、もっと大きな衝撃は、落選したのが自民党の実力者であり、重鎮の例の議員だったことです。
地元の新聞は大物議員の落選を大きな見出しと驚きの言葉で報じました。

どうして和歌山1区の選挙に、池田会長が命をかけてまで駆けつけ、和歌山の会員を励まして、奇跡的な勝利を勝ち取ったのか、これには重要な背景がありました。
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その出来事は、この選挙のあった年からさかのぼること11年前、昭和33年(1958年)3月16日にありました。

創価学会にとって毎年の3月16日というのは、「広宣流布記念の日」という名称で、非常に重要な記念日として位置付けられています。
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その由来は、昭和33年のこの日の行事にありました。
当時の第2代戸田会長は、翌月の4月2日に逝去されているので、亡くなる17日前の事でした。

前年の昭和32年の暮れ、戸田前会長は生涯の目標としていた会員数、75万世帯を達成した後、病床に伏すことが多くなっていました。
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年が明けても体調はすぐれない状態でした。そのなか、まだ創価学会から離脱していなかった、静岡県の日蓮正宗富士大石寺で3月1日より、落成した大講堂の落慶式典が行われました。

式典の招待者には、当時の総理大臣であった岸信介首相も入っていましたが、不参加でした。
戸田前会長は、多くの来賓を迎えての落慶行事を全て大成功で終えました。
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その1週間後のことでした。岸首相から3月16日の日曜日に大石寺を訪問したいという連絡が入りました。戸田前会長と岸首相とは、親交関係があったのです。

戸田前会長は即座に、当時の青年室長であった池田会長に、
「一国の総理を迎えて、将来のために、広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をしておこう」
と提案しました。
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「広宣流布」というのは、生命尊厳の仏教思想を根底にした、人権と自由が守られる平和な社会を建設することです。

そして、3月16日午前、男女青年部の精鋭が、6千人集まって式典の準備が整いました。
その時、岸首相より電話がありました。外交上の問題が起きたので行けない、という謝りの連絡でした。
「謝るのは、集まっている青年に対してだ」と戸田前会長は厳しく言いました。
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そして、「よし、戦う」と叫ばれました。
それから、体が衰弱し、歩行さえ困難な状態のなかで、6千人の青年を前に、

「我々には、広宣流布を断じてなさねばならぬ使命がある。それを今日、私は君たち青年に託しておきたい。未来は君たちに任せる。頼むぞ広宣流布を。・・・創価学会は、宗教界の王者であります」
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と公式的には生涯の最後の、命を振り絞っての宣言をしたのです。
この式典は、戸田前会長が、広宣流布の後事の一切を、次代を担う青年たちに託す儀式となりました。
だから毎年、「広宣流布記念の日」として、最重要の記念日としているのです。
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後日、この時、岸首相の足を引っ張った1人が、和歌山1区の例の自民党重鎮の衆議院議員だと分りました。
「一国の総理が、一宗教団体の行事に参加するのは、許されない」という趣旨の事を言って参加させなかったようです。
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このことは、池田会長はもちろん、和歌山の学会員もよく知っていることでした。
実は、和歌山1区の、世間も驚いた選挙結果は、戸田前会長の恨みを晴らすという、会員の燃え上がるようなエネルギーの結果だったのです。
逆に言えば、仇討ちをするというほどの心意気がなければ、常識的な選挙戦では絶対に勝つことのできなかった選挙区だったのです。
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この昭和44年の和歌山1区の衆議院選挙について、創価学会批判者の中には、次のようなことを言う人がいます。
CL-FOD-VE-076
「国政選挙というのは、国の発展のために様々な政策を掲げて論戦し、有権者はそれを聞いて、どの候補が国の発展のためになるのかを判断して投票するものである。
それが本来の姿であるのに、創価学会の選挙は、宗教的私情や恨みを晴らすために選挙運動をして、国益にならない国会議員を当選させている。そのように扇動しているのが池田会長である」
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この内容は、一見すると、実に道理にかなっているように思えます。特に、一般の人が聞けば、「創価学会はおかしい」と確信させるだけの説得力があります。

しかし、ここには「正義面をする。正義ぶる」が創価学会批判の原理の1つとすれば、もう1つの原理が現れていると言えます。
どういう原理なのかというと、
CL-FOD-VE-078
「信教の自由、政教分離、表現の自由など、世の中の道理と思えるものを、一般庶民に判らないようにごまかして解釈して、学会批判に利用する」

と言うことです。
和歌山1区の選挙についての批判は、政治や選挙に関わりのある人ならすぐに分ることですが、大きな誤りです。
CL-FOD-VE-080
一見、道理のように思えますが、スローガンや政策で、実際に票がもらえるのであれば、全く苦労はしません。
例えば、ある候補者が次のようなスローガンを掲げて立候補したとします。
「人権と自由が守られ、国民が豊かで平和な社会を作る」
誰も反対する人はいないでしょう。
CL-FOD-VE-081
それなら、大量の票が入ってくるはずです。
ところが、道理にかなった正しいこのスローガンによって、その候補者に投票先を決める人などほとんどいないでしょう。

現実の選挙において、投票先を決める要因は、種々雑多なものです。
例えば、政党さえ決めたところであれば、候補者は誰でもよい、ということもあります。こんな選挙によって選ばれた国会議員の中には、政治家としてふさわしくない人物が多くいた事もありました。
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当然、利害関係で選ぶ場合もあります。公務員の給与を下げるという候補者には、公務員からの票は減るでしょう。年金を上げるという候補者には、年金生活者からの票が増えるでしょう。

また、候補者の年齢、性別、外観、職業、学歴などで判断する事もあります。
タレント候補などには、政党に関係なく大量の票が集まったりします。
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さらに大きな影響力を持っているのは、テレビなどマスメディアの報道です。民主党政権が誕生した背景に、マスコミの報道姿勢が影響したことは多くの人が認めているところです。

このように有権者が、誰に投票するかを決める要因は千差万別なのです。
こんなことは、実際に選挙戦を進める関係者は、イヤという程知っています。学会批判者が言う「国益のためのスローガン」などと言う道理で、厳しい選挙戦を勝てることなどできないことは、選挙の現場で活動している人なら誰でも分かっていることです。
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学会批判者の和歌山1区に対する批判は、的を得ているように見えますが、実際には的外れなことなのです。
候補者を選ぶのに、「国益のためのスローガン」で判断しなければならないなどと言う事は、「幼児の寝言」に等しいくらい空虚な言葉です。もともと、判断基準は、個人の自由であり、強制されるものではありません。

世間の道理を一般の人には分りにくいように悪用して、学会批判に利用しているだけなのです。
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さらに、投票日前に行われた和歌山県幹部会は、新人の公明党候補者の支援を大きく拡大するための会合でした。奇跡を起こさねばならないものでした。
参加した活動家が、友人知人に公明党候補者の支援をお願いする行動力になるものは何かといえば、「国益のためのスローガン」などではありません。
参加者の魂を揺さぶるような、中心者の魂の叫びこそが、行動力となるのです。
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以前、どこの政党でも、選挙戦中に行われた講演会などでは、候補者が壇上で土下座をしてお願いするということはよくありました。「国益のためのスローガン」などとは、関係のない情感に訴えたものでした。
これは当然のことでした。

学会批判者は選挙とは何かを全く知らないか、あるいは知らないふりをして、だましやすい「国益のためのスローガン」を持ち出して、創価学会批判者を多く作ろうとしているのです。
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「言論出版妨害事件」の嵐が吹き荒れる中での第32回衆議院議員選挙の結果は、公明党は和歌山1区をはじめ、22の新し議席を獲得する大勝利となりました。

同時に、衆議院選挙の結果は、「言論出版妨害事件」の火に油を注ぐことになり、創価学会、池田会長へのさらなる攻撃へと進んでいったのです。
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(D)「言論出版妨害事件」の実態

和歌山1区の選挙区に限らず、公明党が新たに議席を増やした22の選挙区では、大きな反響が起こっていました。
それまでの決まっていた勢力図が、学会によって変えられてしまったわけですから、新たな対応に迫られていました。
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落選した陣営は、学会を激しい攻撃の対象にしてきました。
それ以外のところでも創価学会・公明党の躍進は、警戒心と恐怖心を増幅させるものでした。
特に公明党の大勝利の選挙結果の背景には必ず、池田会長の活躍があったことは、選挙の総括をした他党の関係者の誰もが知るところでした。
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「言論出版妨害事件」として、創価学会・公明党を大騒ぎをして攻めたにもかかわらず、大勝利を手中にされたことに対して、反学会の勢力は一致団結をして学会に対して攻撃の牙をむいてきました。
放置しておけば、今にも創価学会に天下が取られるような恐怖に脅えたのでした。
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「言論出版妨害事件」の経緯をたどると一つの真実が浮かび上がってきます。
それは、この「事件」が出来上がった根本原因は、当時の公明党が飛躍的に勢力を伸ばしていたからに他なりませんでした。

もし選挙前に、言論出版妨害だと言って、創価学会・公明党を攻撃したことが功を奏して、公明党が大幅に議席数を減らしたとしたならば、この「事件」は大きくならなかったに違いありません。
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創価学会や池田会長への批判の常ですが、非難する根拠は普遍的な真理や本質的な人間のあり方という、国や時代を超えても通用するようなものではありません。
その時々の政治状況や権力構図など、変転きわまりないものが批判の根拠になっているのです。

だから、学会批判が正しいかどうかは、普遍的なものによって決定されるのではなくて、批判者側の都合によって正当であったり不当であったりするのです。
立場や状況が変われば、言動がコロリと変わるのが現実なのです。
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 公明党が野党の時には、自民党が創価学会・池田会長を社会の悪の巣窟ででもあるかのように批判をしていたのが、自公連立になると、正義の味方に変わり、非難どこかを賛嘆するようになったことなどは、そのよい例でしょう。

「言論出版妨害事件」の逆風が吹いたにもかかわらず、公明党が大勝利をしたことに対して、さまざまな個人や団体が非常な危機感を抱きました。
特に、公明党が伸びることによって議席が減る可能性のある政党は、死活問題と考え徹底して追及をしてきました。
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創価学会・公明党を潰すことによって利益を得ることができる様々な勢力も一緒になって攻撃をしてきたのです。

攻撃の場は当然のように国会にも及びました。
「言論出版の自由に関する懇談会」「出版妨害問題真相究明議員集会」などという団体が結成され、盛んに反学会、反公明党キャンペーンを張っていったのです。
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こうなると何時ものことですが、池田会長や学会の最高幹部、公明党委員長や党の最高幹部などから「言論出版妨害を受けた」という人が次々と名乗りを上げてきました。
また、マスコミや出版関係からも、批判の報道が飛び交いました。
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さらに、これも何時もの事ですが、公明党と創価学会は政教分離の憲法に違反して政教一致である、という議論が出てきました。
国会では、宗教団体の政治進出に対して規制を求める趣旨の「宗教団体の政治的中立性の確保等に関する質問」などや「宗教団体の政治活動に関する質問趣意書」などが提出され、消極的な自民党を除いた全野党が共闘して創価学会つぶしに動いてきました。
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当然ながら、学会と公明党の関係は学問的にも法的にも、憲法違反でもあるわけがありません。

「言論出版妨害事件」はまさに力の論理で善も悪にしてしまう典型でした。
再度、確認すれば、もし衆院選挙で公明党が大幅に議席を減らすような結果であったならば、学会と公明党は政教一致にならなかったのです。
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政教一致になったのは選挙に大幅に勝ったからです。常識的に考えれば、おかしな話です。
日本の国会の現実では、道理に適(かな)わないことが、平然として行われるようなレベルの議員であふれているということです。
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当然の思惑として、悪の根源は池田会長であり、真相究明のためには証人喚問をする必要があるということになりました。
特に、しつこく声高に要求した衆議院議員に、後にその政党の委員長になった人がいました。

この議員は、自らも公明党批判の書籍を出版しようとしたが、妨害されたと主張していました。
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後日談になりますが、この次の衆議院選挙のとき、この議員が立候補していた選挙区では、学会員が「敵討ち」だと言って、落選させた経緯があります。
これが選挙の現実です。
世間受けのするキレイ事をもってきて、学会の選挙活動を批判する人は、幼児性と欺瞞性を持ち合わせている希少な人です。
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やがて、反会長、反学会の勢力は一致団結して、総力を挙げて攻撃をしてきました。
それは時の経過とともに、様々な分野の勢力を巻き込んで、水かさを増してくるようでした。
何らかの形で、学会が区切りをつけなければいけない状況になってきました。
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そんな中、昭和45年(1970年)5月、学会の、年に1回の記念の会合である本部総会が開催されました。
その講演の中で池田会長は、「言論出版妨害事件」の最終的な結論として、
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「言論妨害という意図はなかった。しかし、結果として言論妨害と受け取られ、関係者の方々に圧力を感じさせ、世間にも迷惑をおかけしてしまった」

という趣旨の謝罪を行いました。
さらに、創価学会の行き過ぎた体質や学会と公明党の政教分離を進めることも公約しました。
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いったい「言論出版妨害事件」とは何だったのでしょうか。
様々な観点からの経緯や経過を調べていくと、マスコミなどが大騒ぎをした状況とは明らかに相違した実像が出てきます。

それは一事を見れば分かります。
学会批判者の人達はこの「事件」により、「非常に多くの人が、多大な被害を被った。家族にまで危険が及んだ」と喧伝しています。
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ところが実際には、それほど被害を受けたにもかかわらず、誰一人として加害者が刑事罰や民事の損害賠償請求を受けていないということです。
告訴や告発あるいは、被害届が提出されて裁判になり、公明党や学会関係の加害者が有罪判決を受けたいとう事件がないのです。

例えば、対話をしている時に腹が立って、相手の頭を拳で殴ったとします。殴られ方は病院に行って診察を受けると、全治二週間の打撲傷の診断が出たとします。
それなら、被害者は刑事告訴して裁判となり、加害者は一定の刑罰に服することになるでしょう。
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相手の頭にこぶを作っただけでも犯罪になり処罰されるのに、「言論出版妨害事件」は「事件」と言いながら、刑事裁判の判決により処罰されたものは誰もいません。
相手を殴って頭に瘤を作る程度の事件にもならなかったのです。
また、業務妨害や営業妨害で、裁判所の判決として、損害賠償命令が出た事例もありません。
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これはいったい何を意味しているのでしょうか。
これこそ「言論出版妨害事件」と言われるものの実態です。

この時期には、多数の「言論出版妨害事件」が起こされたわけですが、その象徴ともいえる前述の『創価学会を斬る』の顛末を見て、この事件の実態を明らかにしておきます。
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この批判本を出した評論家が、学会や公明党から出版妨害を受けたと野党議員やマスコミに訴えた事から、「事件」が始まりました。

当時、公明党の幹部であった東京都議会議員と聖教新聞の主幹であった学会の幹部の二人が、発刊前に評論家の自宅に訪問して、内容の誤りを指摘し、書き直しを要求したことが発端です。
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これに対し評論家は拒否しました。
後日、評論家はマスコミや反学会の政治家に対して、
「学会や公明党から脅迫や強要を受け、恐怖を感じさせられた。これこそ出版言論妨害事件だ」
と大々的なキャンペーンを張りました。
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多くの反学会勢力がここぞとばかり、その流れに乗って徹底して創価学会・公明党を攻撃してきました。
不思議なことに、それほど被害を受けたにもかかわらず、告訴も被害届も出しませんでした。したがって警察機関は全く動いていません。

年末の衆議院選挙を終えて翌年、「これこそ言論出版妨害の証拠だ」と言って週刊誌に、訪問してきた時の二人との会話を公表しました。
会話の内容を二人の許可も受けずに密かに録音していたのです。
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まるで、鬼の首でも取ったように得意になって公表したものでしたが、内容的には、脅迫も強要も暴言なども全くありませんでした。
会話の様子は第三者が聞いても、大騒ぎをするほどのことではないことが分かりました。
「事件」の被害者として告訴したとしても、受理されるようなものではなかったのです。
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一事が万事というわけではありませんが、「言論出版妨害事件」で騒ぎたてた勢力の実態はこの程度の次元のものだったのです。

その証拠として、刑事事件として取り上げられなかった事と共に、この問題についての次の二つの部署の見解を挙げておきます。
まず1つは、法務大臣の見解です。
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「人権侵害を受けているという申告、あるいは要請が今までにない」
「出先当局において、調査を始めるに足るような端緒を得ていないと聞いており、調査をしたという報告を受けていない」

これは、衆議院予算委員会での答弁です。
もう一つは、法務省人権擁護局長の見解です。
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「非常に大きな形で取り上げている問題なので、資料は集め、情報収集は行っているが、人権擁護機関として取り扱うことが適当であるかどうかということは、現在の段階では自信がないので、しばらく情報の収集にとどめて今後の推移を見たい」

これは、衆議院法務委員会での答弁です。
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これらの状況から見て、何度も言いますが、「言論出版妨害事件」なるものは、権力抗争の中で意図的に作り上げられたものであることが分かります。

本来、学会に対して提起された、「言論出版妨害事件」は、例えて言えば、大企業ならどこでも抱えている小さなトラブルのようなものだったのです。
裁判ざたにもならない程度のものであったことは、告訴もされず、捜査機関も動いていないことからみれば明確です。
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「被害を受けたけ」と大騒ぎをしている人は、法的な対象となる被害とは別次元のことを、学会や公明党への攻撃材料として作為的に誇大宣伝をしていたのです。
もしこのことを事実に反しているというのであれば、どうして、学会や公明党の加害者が誰一人として逮捕もされなければ、損害賠償の支払いもしていないのでしょうか。
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もし、ある団体が、「言論出版妨害事件」と同じレベルの問題を起こしたとしたならば、全く表ざたにはならずに、お互いに歩み寄って問題解決がなされたことでしょう。
ましてや、国会などで取り上げるなど、あり得ないことです。

それが、対象が創価学会・公明党であったが故に、社会的、国家的「事件」にまで反学会の勢力が一致団結して、作り上げたものなのでした。
CL-EVT-OS-055
それにもかかわらず、いまだに政治とは関係なく、学会側に重大で、違法な言論出版妨害があったと主張する人もいます。
こういう人は実に、のんきな人です。しっかりと、社会学や政治学を学び、現実の権力構造の中では、どのような力学が働くのか、初歩から学習し直す必要があるでしょう。
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ところで最後に、「言論出版妨害事件」について、たいへん気になることが1つあります。
それは、これに関わった公明党の議員が後年、学会を脱会して、学会を攻撃する側に回ったということです。それも複数人数です。
東京都議会議員2名、さらには当時の公明党委員長も学会に弓を引きました。
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これまでも、公明党議員が学会を脱会し、学会批判を言い出す者はもちろん居ました。しかしそれは議員個人の単発的なものでした。
「言論出版妨害事件」のように、1つの「事件」に関わった議員の中から、3人も反学会者を出したことはありませんでした。
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これは何を意味するのでしょうか。単なる偶然なのでしょうか。
それとも、何らかの必然性があったのでしょうか。必然性があったとすれば、「言論出版妨害事件」なるものを別の観点から解くカギがあるように思えてなりません。