第一章【概要】(7)愚痴文句型
どこの社会においても同じ、と言えるかもしれません。
学会批判においても、愚痴や文句、恨みつらみや腹いせ、やつあたりや仕返し、
などの類が最も多い状況です。
批判の、論理性や立証性、責任者の所在や特定など、全く不明確で、
好き勝手に、無責任な事をネット上にまき散らしているものです。
中には、面白半分に書いているものも多くあります。
書き込んでいる本人自身がおそらく、その影響などについては、
どうでもよいと思っているのでしょう、表現も幼稚なものがほとんどです。
創価学会批判としても、どうでもよいようなレベルのものなのですが、
しかし中には、虚偽をいかにも真実らしく書いているものもあり、
悪意が感じられるものもあります。
もちろん、悪質なものについては、法的措置をとれば、
学会が勝訴するのは分かっているのですが、
そんな大人気ない対応はしないだけです。
また、巨大な学会が相手にしてくれた、と言って、喜んだり、
宣伝したりすることもあるので、大人の対応を取っているのです。

ネット上に出てくる多くの学会批判は、たいていこの型に入るでしょう。
「近所にいる学会員は、日頃は顔を背けて口もきかないくせに、
選挙になるとニコニコ笑って頼みに来る」
「会社に学会員がいるが、仕事もできず、皆から嫌われ、迷惑がられている」
「学会の活動家だった頃は、ノルマを達成するために、上の幹部から強要され、
苦悩の日々が続いた」
「学会員の時は、狭い世界の人間関係だったが、やめてからは、
広い世界に出ることができて、晴れ晴れしている」
「信心をやめて、洗脳から解き放たれ、仕事も家庭も全て、
うまくいくようになった」
「信心したら、願いは叶い、幸せになると言われたが、良いことは全くなかった」
「学会員は、理想的なことを言うが、実際には、全く、俗なことしかしない」
などなどと、書き上げると、キリがありません。

愚痴や文句を言わなければならないような状況になっている原因は、
実は、本人自身にあるにもかかわらず、
全て他人に責任を押し付けていることです。
自分に能力がないことを隠すために、他人の悪口を言って、
自己弁護しているわけです。
こういう人は、職場でも家庭でも町内会でも、うっとうしくて嫌がられます。
当然、学会員の中にも、こういう性格の人はいます。
最近では、こんな学会員の人が、インターネット上で、愚痴をこぼしたり、
文句を言ったりするのも増えています。
学会と社会の垣根が、無くなってきている証拠でもあります。
愚痴や文句の多い学会員が、退会すると、今度は、腹いせ、仕返し、
恨み辛(つら)み、などの書き込みとなるわけです。

例えば、その人が会社に勤めていたとします。職場では、仕事をさぼり、
同僚に迷惑をかけていた上に、愚痴や文句が多いのです。
それで結果的に、会社を辞めることになります。
部外者になってからも、辞めることになった原因は、
会社や同僚の方にあると言って、文句や攻撃をします。
そうして自分の正さをアピールし、慰めているわけです。
こういう人は、どこの職場に行っても、出世もできず、
同じようなことを繰り返します。そして生涯、
自分に原因があることを認めずに、侘(わび)しい人生を送る人が多いようです。
気の毒としか言いようがありません。

まず、近所や職場に感じの悪い学会員がいる、ということです。
これは、仕方のないことです。これだけ大きな組織となった創価学会ですから、
様々な人がいるのは当然です。
しかし、実際にこういう事例の双方に会ってみると、意外なことが分かります。
それは、《嫌われ者》という判断基準に特徴があるということです。
一つは、
「本来、学会員というのは、優れた人間性を持っているべきなのに、
あの学会員はダメだ」
というものです。別の面からみれば、学会への評価が高い人の基準とも言えます。
もう一つは頭から、学会員を悪者にしてやろう、という意図のあるものです。
こういう人にかかると、どんなに人間として優れた学会員でも、
嫌われ者になってしまいます。
多くの場合は、学会員に対する、良い意味でも悪い意味でも、
偏見から歪んだ見方になっている場合がほとんどです。
いずれにしても、ほんの一部の学会員の姿を見て、
それが創価学会の全ての姿である、と考えるのは当然ながら間違いです。

これらの人にほぼ共通していることは、
本人が、学会員であった頃のことについて主張している内容は、
実際の姿とは違うということです。
多くの元学会員の批判者に会って話を聞き、内容を確認しました。
すると、元学会員の人は、
「学会の活動には積極的に取り組みましたが、良いこともなく、落ち込みました。
そんな苦しい状態になると、学会の幹部の人は誰も来てくれません。
日頃、温かい人間関係と言いながら、冷たく見捨てられました。
だから、やめたのです」
と言うようなことをよく言われます。
実際には、どうであったのかと周辺の関係者に確認すると、
「学会の会合に参加してくれるのは、年に2、3回で、
何度、誘いに行ってもほとんど出席してくれません。
それ以外の活動には全く出てきません。
朝晩のお勤めである勤行も、ほとんど実践していません」
という実態が明確になってきます。これは、学会側の都合の良い見方ではなくて、
会合に参加不参加という客観的に事実として分る状況なのです。
「信仰活動は、言われる通り頑張ったが、良くならなかった」
というのは、実は事実ではない場合の方が多いのです。

「学会内は、洗脳され、狭い世界に閉じ込められている。
退会したら、つき合いが広がり楽しくなった」
という類のものです。
この言い方は、一般の人が読むと、納得する傾向があります。
創価学会というのは、異常な宗教世界で、一般世間からは隔絶しており、
会員は精神的に閉じ込められ、外の世界と触れ合うことができない、
というように見えるのです。
ところがこの見方は、現実とは全く真逆なのです。
創価学会ほど信心していない人との繋がりを大切にし、
拡大している宗教はありません。だからこそこれだけで広がったわけです。
事実は、学会の活動家だった人が退会すると、人脈は次々に減っていきます。
他人への働きかけの必要性が、宗教的信念が無くなって、
はるかに減少したわけですから、当然といえます。
その結果、わずかの、気に入った人とだけのつき合いになってしまいます。
狭い人脈の世界で人生を過ごすことになるのです。

本当は、よく実感をしていることなのです。
楽しくない人生になったことを自覚しているのです。
それが最も強く感じられるのは、以前一緒に活動していた友人で、
今も信仰活動に頑張っている人に出会った時です。相手の、
生き生きとした姿に接して、妬(ねた)み心が出てくるのです。
それで、「信心をやめたから、つまらない人生になった」
と事実を言われるのが悔しくて、わびしく批判をしているわけです。
こういう心理状態の人が、ほとんどです。
愚痴文句型の批判者の特徴は、簡単に言えば、人間の組織というものが、
どういうものか、理解ができていなくて、実感もない人です。
もし、これらの人が、少なくとも50人程度の従業員のいる会社を立ち上げて、
社長として経営したならば、学会に対して言っていた愚痴や批判が、
まさに、会社組織というものがどういうものか、
全く分かっていない愚かな人間の言うことだ、とすぐに気が付くでしょう。

様々な問題や課題を抱えながら存在していることは当たり前のことです。
その中で、発展させるかどうかは、中心者にかかっているわけです。
中心者の気持ちは、その立場になってみなければ理解できないものです。
気軽に、無責任で、部外者のような顔して、
団体に対して愚痴や文句を言っているような人には、
団体を運営できるような力量もなければ、
多くの人から信頼されるような、豊かな人間性も指導力も無いのが常です。
人生において、愚痴や文句を言う立場に立って生きるのか、
主体者として責任を担って生きるのかは、
天地雲泥の差になることは言うまでもありません。
50人ほどの会社でも、様々な事が起こり、経営者の心労は絶えません。
ましてや創価学会は、千数百万人の組織です。しかも、国や民族を超えて、
老若男女が集まっているのです。愚痴や文句を言いたがる性格の人がいれば、
それこそ、一生涯かかっても、言いきれないほどの材料があるでしょう。

そして、池田会長については尊敬の念を持っています。
分る人には、分かるものなのです。
パナソニックの創業者である故松下幸之助氏と池田会長とは、
30回も対談をしています。
さらに、150のテーマに対する書簡の往復もしています。
それらをまとめて単行本として発刊しています。それが『人生問答上下』です。
愚痴文句型の学会批判者の人には、この書籍を一度読むことを勧めます。
読めば、いかに、学会に対する自分の見方が、浅薄であったことか、
と理解できるでしょう。

情報を見た人が、書かれた内容にどのような影響を受けたとしても、
書いた本人は一切、責任を取らないということです。
例えば、ネット上に、医者の治療を受けずに、
癌を治す方法が書いてあったとします。
それを信じた人が、書かれている通りに実行した結果、全く効果がないどころか、
早々と悪化して、亡くなったとします。
もし医療機関で治療を受けていたとしたら、死なずに済んだかも知れません。
実際にはこれに似たことはよくあります。当然ながら、
亡くなった方の親族は、ネット上の無責任な書き込みに怒りを感じるでしょうが、
責任を追及することなどできません。
逆に言えば、そんないいかげんな情報を信じた方が、
愚かであったと言われても仕方がないのです。
ネット上の学会批判も、無責任極まりないものがほとんどです。
もし、学会に入会して人生の苦悩を乗り越えようと考えた人が、
参考までにとインターネットで検索して、学会を調べてみた結果、
あまりのひどさに入会するのを止めたとします。
そうすると、入会していたとしたら、苦悩に負けそうな人生から、
苦悩に打ち勝つ人生へと変えることができたのに、
そのチャンスを失うことになります。

会員や入会を考えている人に、大きな悪影響を与えているといえます。
学会批判者というのは、学会の素晴らしさを証明する客観的な事実から、
あえて目を逸(そ)らして、悪いイメージばかりを作り出そうとしています。
学会が、どのようなものかを客観的に示す方法は簡単です。
入会した人とその後、退会した人の中で、何人の人がよかったと思い、
何人の人が悪かったと思っているのか、
この調査をできるだけ多くの人を対象にして行えば、明確になるでしょう。
未だかつて日本には、
学会を客観的に評価する中立的な立場の人が、ほとんどいません。
海外では、自治体や国家から学会の活動が社会に良い影響与えていると評価されて、
学会の組織が表彰されることは多くあります。
学会批判者は、特にネット批判者などは、客観的な事実を無視し、
歪んだ個人の主観で、書き込んでいるものがほとんどです。
なかには、憂さ晴らしでやっている人もあります。

生きがいのある人生を逃(のが)したとしたら、
大きな悔恨を残すことになるでしょう。
別の面から考えれば、人が幸せになろうとする権利を断ち切ったり、
邪魔することは、人間として最低の行為です。
それも、自分の憂さ晴らしのためにやるなどというのは、
不謹慎極まりないことです。
憂さ晴らしをするなら、酒でも飲んで、他人に迷惑をかけないように、
愚痴と文句をブツブツ言っておけばよいのです。
以上が、愚痴文句型の説明です。

被害妄想型・利害感情型・愚痴文句型の説明を終わります。
次からは、創価学会批判の具体的なものについて、検証をしていきます。