第一章【概要】(3)ホントとウソ

どうして創価学会批判に、
「いったい何がホントで、何がウソなのか、分からない」
というようなウソが横行するのでしょうか。

その分かりにくさの原因について、
学会批判者が常套(じょうとう)手段として使ってきた四点に渡って考えてみます。

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まず第一点目。

『人間の良心を逆手に取ったウソを言う』

ということです。

これまで、学会の攻撃材料に使われた数多くの事柄を調べてみますと、
「まさか、人間としての良心があるならば、
こんなウソはつかないだろう」
と思わせるようなものばかりです。

だから、とてもウソとは信じられずに、一般の人は
「間違いなく、創価学会側が悪い」
とだまされてしまうのです。

相手の善意を利用して詐欺を働くのと同じです。

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特に、池田SGI会長の側近の幹部だった人が、
脱会して学会批判の側に付いた時、
ありもしない会長の異様な言動を悪意を持ってデッチあげるのです。

知らない人から見れば、会長の側近に居た人の言う事だから、
事実に違いないと確信します。
ところが実際は、同じく側近にいた多くの幹部は、
「よくも、あれほど真っ赤なウソが作れるものだ」
と感心するほどのウソなのです。

しかも、当人に、
「ありもしない作りごとを広めるな」
と抗議すると、
「学会が巨大組織で、真実を叫ぶ者を、逆に、
嘘つき者に作りあげて、抹殺しようとしている」
とマスコミや政治家も巻き込んで、声高に叫ぶのです。

この、双方のやりとりを、第三者が見ると、
たいていは、学会に対して悪意のある報道などで、
悪いイメージを無意識のうちに、植え付けられていますので、
「そんな悪事なら、あっておかしくない」
と結論付けてしまうのです。

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第二点目。
 
『裁判になった時、ウソを主張し通す』

ということです。
これまで数多く、学会と批判者は裁判で争っています。

たいていの裁判では、批判者は、自らの主張が、
全くのウソであることを百も承知しています。
初めからウソと分かっているわけだから、
どのように、ウソであることが学会側から証明されたとしても、
最後までウソを貫き通すのです。

そうして、できるだけ裁判期間を長くします。
判決が出るまではウソとは決まっているわけではないので、
裁判を最大限に利用して、マスコミなどで大きく取り上げ、
学会批判のキャンペーンを繰り広げるのです。

批判者が主張していることが、
ウソであると最高裁で判決が出た後も、
判決をわい曲して解釈し、学会攻撃をするのが常です。
裁判を学会批判の場に大いに利用している訳です。

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それを象徴するような裁判があります。
それは、創価学会を退会した一人の婦人の起こした裁判です。
この人は、学会の婦人部という組織の中で、
北海道方面の幹部でした。

この婦人が、池田SGI会長に強姦された、として、
損害賠償請求の訴えを起こしました。

結局、5年後、最高裁で池田会長の勝訴が決定しました。
この5年間、センセーショナルな内容であったこともあり、
あらゆる反学会勢力が集まり、広範な、
反創価学会キャンペーンが、繰り広げられたのです。

それは、まさに、異常といえるものでした。
この婦人は、東京地裁に提訴した後、記者会見を行いました。
さらに、日本外国特派員協会でも記者会見を行いました。

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そのことは、新聞、テレビ、週刊誌などで、大々的に報道されました。
また、当時は自公連立ではなかったのですが、
自民党機関誌『自由新報』にも、何回も、
レイプ問題として、掲載しました。

さらに、反学会の議員が、衆議院予算委員会や金融問題特別委員会でも、
池田会長のレイプ事件として、取り上げ、
証人喚問を要求したのです。

こういう状況の中で、以前からの学会批判の団体も、
徹底した学会攻撃に出てきました。
『創価学会による被害者の会』や宗門関係の団体などが、
ここぞとばかり、大騒ぎをしました。

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これだけ、社会の大問題となった裁判の判決の趣旨は、
次のようなものでした。

「この訴訟は、紛争の解決を真剣に求めたものではなく、
池田会長や創価学会に不利益を被らせることを
目的にしたものと認められる」

すなわち、「訴権の乱用による却下」になったのです。
裁判を本来の目的ではなく、
邪な目的のために利用している、と判断されたのです。
こういう判決は、滅多に出るものではありません。

いったい、この5年間、正しい人を非難中傷し、
著しい人権侵害をなした人や団体は、判決後、
どうしたのでしょう。

知らぬ顔です。
これが、創価学会批判者に共通した本質です。
ただ、自民党だけは、機関誌『自由新報』に
虚偽を掲載したことを謝罪しました。

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もちろん、学会が敗訴した裁判もあります。
しかし、これまでに行われた学会と批判者との
裁判をすべて書き出し、一覧表にすれば、
学会側が、法的に正しい立場であることは、
一目瞭然なのです。

ところが、批判者側は、
「創価学会は、裁判で負け続けているにもかかわらず、
事実を知らない末端の会員には、隠して、ごまかしている」
と広言しているのです。

要するに、
「事実を知らない者には、ウソを言っても、
ウソとは分からずに、だますことができる。
そういう人間の方が数として多いはずだ」
という詐欺的戦略をとっているのです。

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 第三点目。

『火のないところに煙を立たすウソをつく』

ということです。
「ウソも百回、言えば本当になる」
というのは時々、低俗な政治戦略で使うものです。

同じ戦略を、批判勢力も使います。
たとえば、学会が犯罪者集団ででもあるかの様な、
社会的イメージを作ろうとして、
ありもしないウソを垂れ流してきたことは、歴史的な事実です。

「学会は葬式の時、香典を持ち去る」
こんな記事が、地方新聞に一度だけ出たこともありました。
学会の抗議によってすぐに訂正謝罪しました。
ところが、このデマは驚くほど広まりました。

自然に広まったのではありません。
批判勢力が、悪意を以て戦略的に広めたのです。
こう言うと、被害妄想になっていると思う方もいるでしょう。
ところが、実際の権力闘争というものは、
こんなことくらい、平気でするのが、現実なのです。

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学会批判のデマ情報を流して、
学会をつぶそうとする勢力は多くあります。
それらが流してくる情報は当然ながら、
「誰が、どこで、何時、そんなことをしたのか」
と詰問すれば、誰も答えることができないのです。

この類いの学会批判は多くあります。
『火のないところに煙は立たない』
という常識を逆手に取って、
非常識極まりない学会批判が繰り返されたのです。

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 第四点目。

『《馬のゲリ便》をホントだと言う』

ということです。
下痢をしている馬が歩きながらゲリ便をしました。
それを見た学会批判者は、
近づいて尻尾を上に上げて、便の付いた肛門を見ました。

そして、
「馬というものは、なんと汚くて、臭いものか」
と眉間にしわを寄せて言います。

それに対して、
「それは馬全体のことではなくて、
たまたま下痢をしていたときの便のついた、
肛門の一部ではないか」
と反論すると、

「ごまかそうとするな。
それでは下痢便のついた肛門は馬ではないというのか。
馬であることは間違いではなく、真実ではないか」
と正義面(づら)をして言うのです。

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こういう論法もまた、学会批判の常套手段です。
批判をするのに都合のよいほんの一部の、
一時の出来事を取り上げて、
それを創価学会全体の現実であるかのように大声で叫ぶのです。

この手法もまた、池田会長批判によく使われます。
会長の一瞬の顔の表情や行動を、意図的に悪意に解釈して、
会長の隠された真実の姿である、などと、
大げさに宣伝するのです。

これらの四点に渡る批判の特質は、
学会批判の根幹をなすものです。
共通していることは、
いずれのウソも関係者であれば、虚偽であるとすぐに
分かるということです。

それを厚顔無知に主張するということは、
関係者以外の人なら騙せると思っているからにほかなりません。

言い換えれば相手に対して、
だますことができる程度の幼稚な人間だ、
と蔑視する心から出てきている行為です。