第一章【概要】(9)評価・行為

それでは、創価学会の評価について検証します。
評価は、医療で言えば、検査の結果をもとに医師が、病名を判断し、それに対する治療方針を決めるところに当たります。

医師の、知識、経験、資質が最も問われる重要な過程です。簡単に言えば、名医(優秀な医者)か、ヤブ医者(下手な医者)かの判断が明確になるところです。

創価学会を正しく評価するためには、当然ながら、その評価軸に対して、評価者が学問的にも正確で深い判断能力を持っている必要があります。
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創価学会の評価軸は多岐にわたりますが、代表的なものを取り上げてみます。
学会は言うまでもなく宗教団体ですから、まずは、
①宗教
が挙げられます。同じ宗教の中でも、
②仏教
になります。さらに、同じ仏教の中でも、
③日蓮仏教
なのです。また、学会は、社会的に影響を与える団体ですから、
④社会
についての見識は必須です。
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そして、学会は政党の設立団体ですから、
⑤政治
についての判断も必要です。当然、
⑥公明党
についても十分な調査研究が求められます。
学会は、民主音楽協会の設立や美術館の建設もしていますので、
⑦文化
についても造詣が深くなければいけません。そして、多くの教育機関を設立していますから、当然ながら、
⑧教育
については、重要です。
創価学会の前身が、創価教育学会という名称であった事を考えても、特にレベルの高い教育学の研究者でなければ、正確な評価はできないでしょう。
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これら以外にも、多くの評価軸がありますが、この程度にしてきます。

創価学会を正当に評価するのであれば、最低でも①から⑧の項目については、専門的な知識を持って、客観的な認識をした上での、普遍的な評価がなされて当たり前でしょう。

ところが、これまでの批判の中心者と言われる人は、驚くことに、仏教のブの字も知らないにもかかわらず、声高に学会批判をしていたのです。そして、調子に乗って喜んでいたのです。これが、ほとんどの批判者の実態です。
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中には、日蓮仏教の関係者もいますが、その解釈は、日蓮大聖人とは全く別物の、自分たちにしか通じないような狂信的なものになっているのです。
教祖のような、1人の特別な立場の人が解釈した教えを絶対であると信じ込まされているのです。

よほど特殊な人以外は、バカバカしくて信じられない内容です。
教団の教えがこんなものですから、信者が増えるわけがありません。それなのに、教団側の発表では、信者が異常な速度で増加していると、いつもの誇大宣伝をしています。

こういう人が、学会の日蓮教学を批判して、得意になっているのです。
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日蓮正宗富士大石寺側も学会を批判しているわけですが、根本的な違いは、この教団は社会に対して何の影響力もなければ、また、責任も持っていないということです。と言うよりも、影響力を持つほどの信者数がないということです。

日蓮大聖人の教えは、当時の鎌倉幕府との関係性においても、また、蒙古襲来についてのとらえ方にしても、いずれも、信仰と社会は密接に連動しているものであると説いています。
一つの教団だけの、内輪にしか通じないような教義でもなければ、地域や社会や国に対して影響力のない教団のあり方でもないのです。

別の面から言えば、社会に対して影響力のないような宗教は、多くの人を救う力もなければ、戦争のない平和な社会を築く力にもならないということです。
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「社会の不幸に目をつぶり、宗教の世界に閉じこもり、安穏(あんのん)として、ただ題目を唱えているだけだとしたら、大聖人の立正安国のご精神に反する。
この世の悲惨を無くし、不幸を無くし、人権を、人間の尊厳を守り、平和な社会を築いていく中にこそ仏法の実践がある」

これが創価学会の、草創からの変わらぬ信念であり、行動規範です。
そのためには、影響力を持てるだけの信者数になることが必須条件です。

布教は、当然ながら宗教の生命です。布教なき宗教は、もはや『死せる宗教』です。宗教とは、人を救うから宗教といえるわけで、もし、他人に布教することをしないのであれば、それは宗教とは言えないでしょう。
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学会は、新しく信仰する人を個人として幸せな人生に転換すると同時に、教団として、社会に対して、よりよい世の中にしていくために具体的に行動をとろうというものです。
これが日蓮仏教の根本でもあります。

だから、日蓮大聖人の名前を掲(かか)げながら、布教ができないのでは、日蓮仏教ではありません。大聖人の教えが信仰の根本になっていないのです。

期間的なもので言えば、日蓮正宗は、総本山の大石寺が創建されて700年が経っています。そして現在の信徒数は約67万人(2016年文化庁編宗教年鑑)です。
学会は、来年(2020年)、わずかに創立90周年になるところです。
会員数は千数百万人です。

どの団体が、日蓮大聖人の教えの通り、人々の苦悩を救済し、社会、国家を実際に平和へと進展させているのか、その評価は、数字を見れば明らかでしょう。
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創価学会の教義の根本は、日蓮大聖人の教えです。大聖人の教えは、学会によって、昭和27年(1952年)に『日蓮大聖人御書全集』として発刊されました。
この御書が、学会のすべての活動の基本になっているのです。
創価学会がどのような団体であるのかを、理解するためには御書を研究しなければならないのは当然です。

ところが、大石寺関係以外の学会批判者というのは、全く御書など勉強していないし、仏教さえも全く知らない人がほとんどなのです。
おかしな話です。批判している対象の根本理念が何も分からずに、評価しているのです。

宗教や仏教や日蓮仏教について、まったくの無知であるにもかかわらず、厚顔無恥に正義面をして攻撃しているのです。
これが宗教団体である創価学会に対する批判の実態です。
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また、昔から言い古されたことですが、学会と公明党が政教一致であるという批判が、飽きもせずに繰り返されます。

これについても、祭政一致や政教一致についてしっかり勉強し、また、ヨーロッパでの政教分離の歴史を学び、日本における国家神道と戦争との関連性を学べば、創価学会と公明党が政教一致でないことくらい、誰でも分ることなのです。

気を付けなければならないことは、相手の無知につけ込んで、創価学会と公明党の関係を政教一致と思い込ませて批判する罠(わな)にかからないようにすることです。
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端的な例を出せば、現在、公明党と自民党は連立を組んでいて、自民党から創価学会と公明党に対して政教一致という批判はありません。
ところが公明党が、野党だった頃、自民党は徹底して公明党を政教一致で攻撃していたのです。

おそらく、公明党が自民党との連立を解消した時には、またまた、政教一致で公明党と学会を批判してくるでしょう。

学会と公明党に対する政教一致批判というのは、このレベルのものなのです。
批判者のご都合主義で使っているだけで、学問的な正当性などとは全く無縁なところで利用されているのです。

学会批判者の、学会と社会や政治との関連に対する評価基準も、これと同じで、驚くほど俗っぽくて、低次元なものがほとんどなのです。
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残りの文化、教育については、細々とした批判はありますが、大きな批判の対象になるようなことは、これまでにありませんでした。
学会の文化活動や教育活動については、ある程度の評価をしているとも言えるでしょう。

いずれにしても、創価学会への評価は、偏見と悪意に満ちたものがほとんどでした。その理由は言うまでもなく、学会を真正面から、客観的で正確に捉えることをしなかった事によります。

ところが最近になって、池田会長と創価学会の真実の姿を明確にしようとする評論家や作家の諸氏が出てきました。
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この方々は、よほど腹を決めた、深い信念の持ち主であると思えます。
どうしてかと言うと、これまでに、創価学会や池田会長に対して、正しく評価するような事を言ったり、書いたりすると、様々なところから徹底した批判や圧力を加えられたものなのです。

それによって様々な不都合を受けなければならない事も多かったのです。これは、誇張ではなくして事実です。
学会が70年代、「言論出版妨害事件」として随分厳しい追及を受けましたが、逆に、学会を称賛する者に対しても陰に陽に、迫害が加えられたのです。

一方では、「言論出版妨害事件」と社会問題化にまでされたのに対して、学会称賛者に対する問題は、実際には多くの被害者がいたにもかかわらず、社会の中のどこにも出てこなかったのです。

もし、「創価学会称賛者被害の会」でも設立していれば、多くの、意外と有名な人々も集合し、理不尽な被害の実態が明らかになったことでしょう。
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今、堂々と学会に対する正論を公表できる人々が出てきたことは、学会を取り巻く社会状況にも変化が出てきた事を意味しているでしょう。

ここでは、3人の方について紹介しておきます。

まず、政治評論家の森田実氏です。氏はある時の講演で次のような主旨の事を言っています。

*   *   *
私が知り合った創価学会員と公明党の政治家は、全員が品格ある紳士であり淑女です。尊敬すべき人格者です。
知性の面でも秀でていますが、とくに倫理面で優れた方々です。
皆さん、大変親切で、礼儀正しく、謙虚です。社会を明るくするために日夜努力されています。私は、皆さんに尊敬の念を抱いています。

創価思想とは何かを知るために、この10年間、釈尊と仏教、法華経、日蓮大聖人『御書全集』と大聖人の数々の著作、牧口・戸田・池田「創価」三代会長のそれぞれの著作、聖教新聞と関連する出版物、公明新聞と公明党に関する著作、等々を読み勉強しました。

この結果、釈尊—法華経—日蓮大聖人—創価三代会長の思想は、人類の歴史の中で生み出された代表的なすぐれた偉大な思想だと、私は判断しています。
*   *   *
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森田氏は創価学会、公明党を正しく認識するために、実際に学会員や議員に会って、自分の目で事実はどうなのかということを確認しています。
また、学会の教義の中心である、仏教や日蓮仏教、さらには三代会長の出版物を徹底して読んで理解しています。

これが、一流の評論家の根本姿勢でしょう。
すぐに消えてしまう、根拠のない煙のような学会批判をしている人と、どちらが正確に創価学会、池田会長、公明党を認識し評価しているのか、一目瞭然でしょう。
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次に、ジャーナリスト、評論家など、広く活躍をしている田原総一朗氏です。
氏も、ある講演会で次のような内容の話をしています。

*   *   *
僕が一番、関心があったのは座談会ですよ。何度も行きました。これが学会をどんどん発展させている要因だと思いましたからね。

(池田会長に取材をした時)
大組織のリーダーだから、きっと近寄りがたい雰囲気で、理屈っぽいことを滔々(とうとう)と言われるんだろうと思っていたんです。
でも、実際にお会いすると、そんなことは一切なかった。偉ぶったところが全くなく、年下の僕の話をよく聞いてくれた。
気が付いたら、僕ばかりが話していました。
*   *   *
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田原氏も森田氏と同じように、創価学会を理解しようとする時、インターネットの無責任な書き込みやマスコミの偏狭な報道、さらに信頼できない人間の書いた書籍などを情報源として取り入れてはいません。

何よりも、自分の目で、自分の体で実際の創価学会を取材しているのです。田原氏は、池田会長には2回のインタビューをしています。

田原氏は昨年(2018年)、毎日新聞出版社より、『創価学会 なぜ、これほどまでに強いのか?』を出版しています。
創価学会の草創期の頃から現在までの50年間にわたる取材に基づいた、渾身の書き下ろしになっています。

これを読めば、世間一般に広がっている創価学会批判が、いかに、創価学会や池田会長の真実の姿を理解せずに、また、真正面から向き合おうともせずに、卑怯な方法で行われているかがよく分るでしょう。
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3人目は、元外務省主任分析官で、作家の佐藤優氏です。

氏は学会についての書籍を何点か出版をしています。
『創価学会と平和主義』(朝日新聞出版)
『創価学会を語る』(第三文明社)
『二十一世紀の宗教革命 小説《人間革命》を読む』(潮出版社)
『佐藤優の公明党論』(第三文明社)
などがあります。

氏は、同志社大学神学部の神学修士であり、同大学の神学部客員教授でもありました。自身も日本基督教団の敬虔なクリスチャンです。
それが、創価学会と出会い、深く調査した結果、自らを「創価学会ファン」と公言するまでになったのです。
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また池田会長についても、
「他宗教の信者を引きつける魅力を池田大作氏は持っている」
と述べています。

さらに、朝日新聞出版の週刊誌『AERA』で、今月末(2019年12月)発売された1月6日号との合併号には、

「佐藤優氏による書き下ろし新連載
池田大作研究----世界宗教への道を追う」

の第1回目が掲載されています。
この連載は、毎回4ページで、全35回程度で8月いっぱいまで続ける予定だそうです。
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創価学会、池田会長、公明党等々についての正当な観点からの記事が長期にわたり連載されるわけです。
週刊誌に学会関係の記事が掲載されるとすれば、すべては偏見と悪意に満ちた批判記事だったこれまでの歴史を考えると、隔世(かくせい)の感がします。

しかし、これらの、創価学会に対してまともな評価をする方々に対して、
「創価学会の番犬になった」
「池田大作の家来に成り下がった」
「創価学会からいくらカネをもらったんだ」
などという聞くに耐えない中傷批判があることは間違いありません。

そういう批判があることを覚悟の上で、また、歯牙(しが)にもかけずに、堂々と正当な自己の信念を公表する勇者に最大の敬意を表したいと思います。
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それでは最後に、『行為』についてです。
行為は、学会批判者が、学会を認識し評価し、そしてそれをもとに行動を起こすことです。
形態は種々雑多で、個人の場合や大小様々な団体であったりします。それらが、様々な形で批判行動を行っています。

この件については、以降の項目で、できるだけパターン化して分かりやすく検証していきます。